トップページ > トップインタビュー > 第30回 関東学院大学 松井 和則学長インタビュー
第30回 関東学院大学 松井 和則学長インタビュー
2006/02/25
松井和則(まつい・かずのり)
昭和50年3月東京大学理学部卒業、昭和55年同大学大学院理学系研究科化学専攻博士課程修了(理学博士)。住友電工を経て、昭和61年関東学院大学工学部専任講師に就任。昭和62年助教授、平成8年教授、平成14年工学部長、平成17年12月より現職。専門は光機能材料の物理化学。趣味はハイキングと読書。
「人になれ、奉仕せよ」を掲げ120年
大学の取り組みや優れた成果を学内外に発信
本紙 新学長としての抱負をお聞かせください。
松井和則学長(以下敬称略)
いままでの関東学院大学は、少子化による受験生減ということもあり、元気がなかったことも事実です。しかし、学生の取り組みやOB・OGの活躍が、各メディアで取り上げられ、全国の大学の中でも、優れた成果を上げているという結果がでています。例えば、あるデータによると、私立大学の約550校中で教育力・財務力・研究力・就職力・経営革新力の総合ランキングは、本学は28位という、高い評価を得ています。他にも本学を評価してくれているデータはあります。
そう考えると、大学として、そんなに自信をなくすことはないはずです。われわれのやっている教育研究や、学生サポートなどの成果は出ているので、みんなで元気を出して頑張っていきたいと考えています。
意外とこのような誇らしいデータは内部でも知られていません。学内を含め、高等学校の先生や高校生にも知ってもらい、本学の素晴らしさを浸透していきたいと考えています。
本紙 これからは、広報に力を入れていかれるのでしょうか。
松井 そうですね。本学では、ラグビーや野球などは知られていますが、そのようなことは大学の全体像の一部です。今年の4月から広報室を立ち上げます。今後はもっと幅広く、大学全体の取り組みを伝えていきたい。それが学生や、教員の励みにもなるからです。
「学生支援室」で退学率減の効果
本紙 昨年、「学生支援室」を作ったとお聞きしました。
松井 はじめは工学部からスタートしたプロジェクトです。工学部はどの大学も退学者が多いというのが、悩みの種になっています。というのも基礎的な学習が身についていないと専門科目についていくのが大変だからです。それをサポートするために、はじめ「学修支援室」を構想しました。それと学生生活面からのサポートをしようとする構想が一体化して新しく「学生支援室」となりました。
学生支援室は、学生をさまざまな面でサポートしていきます。工学部ではチューターと呼ばれる中学や高校を退職した先生を集めて、授業でカバーできない部分を補ってもらおうという活動を、2004年から行っていました。それを続けている中で、退学者をグッと減らすことができました。
本紙 次年度から、新課程で学んだ生徒が入学してくることを考えると、ますます重要な部署ですね。
松井 いままでのカリキュラムと比べると、教育内容が3割減ですから、高校までの教育を従来に比べ7割しか学んでいないことになります。入学試験では、ある程度学力のある学生を選抜しますが受験生は入試科目以外は勉強しません。そのため、高校での勉強の経験がない、あるいは、身についていない生徒が増えてきていることが想像できます。
その一方で、大学で学ぶ内容は、昔に比べてもあまり変わっていません。むしろ、高度になっているかもしれない。そうすると、そのギャップをどうやって解消するかということが大切です。とくに精神的に不安定な、1・2年生の時は、一番支援してあげるべきだと考えています。
本紙 学生支援室の立ち上げには、「人になれ、奉仕せよ」という教育理念が、根幹となっているのでしょうか。
松井 私立大学の場合は、存在意義として、教育理念が大事になってきます。それこそが、関東学院大学としてのアイデンティティなのです。本学は「人になれ、奉仕せよ」という、校訓を掲げています。この校訓の他、学則第1条に「キリスト教に基づく人格の陶冶を旨とし、教育基本法に則り、学術の理論及び応用を教授することを目的にする」という理念を掲げています。
この「人になれ」とは、動物学上における動物としての人間ではなく、倫理観や、社会性を持った人間としての、人になれということです。「奉仕せよ」の根本精神は、聖書にある言葉で、ゴールデンルール(黄金律)といわれるものです。人にして欲しいことは、自分から進んでするということです。
本学の学生には、この精神を持って、社会のため、人類のために尽くせるよう、勉学に励んでほしいと思います。
以前、中央教育審議会の答申で、高等教育の役割として、人格形成が挙げられていました。また、大学の役割として、「大学教育は、専門性を有するだけでなく、幅広い教養を身につけて、社会を改善していく人材を育成せよ」ということをうたっています。これは、先程申しました、創立当初から、本学が掲げている校訓と通じるものがあると考えています。
本紙 時代が貴学の教育理念に追いついてきたということですね。
松井 他にも、本学は、産学連携の先駆けでありまして、本学の研究が、そのまま企業になった「関東化成工業」という会社があります。最近のはやりで、産学連携などが言われていますが、本学は、昭和20年代からこうした事業を展開していました。当時の新聞で取りあげられたものによると、「はやってきた私大の内職、大成功のメッキ工場」や、「大当たりの大学商法・技術生かした産学共同の関東学院」といった記事がありました。
現在は資本金が2億円、従業員が315名。子会社も何社かあり、このあたりでは、大きな企業に成長していると思います。
さらにこの会社と大学で、また表面工学研究所を作りまして、新たな研究を展開しています。教育面でも、学生たちが実践的な教育研究の場を持っています。そのため最先端の研究所で、大学院生、学部生などが共同で研究を行うことが可能です。
本紙 実際に学生は、在籍しながら企業の技術を学べるのですか。
松井 そうです。インターンシップという制度がありますけれど、まさにわれわれの大学は、それも先取りしていて、大学と関連会社の間で、最先端の研究を経験できます。
本紙 いままでの取り組みを含め、大学として、これから求められるものには、どんなことが考えられますか。
松井 これまで以上に大学に求められてくるのは教育力だと思います。
社会そのものが大きな変化を遂げているわけですが、知識情報社会というのは、従来の働き方では通用しません。
それは、単なる労働力ではなく、働く上においてもそれなりのITのスキルや、語学力が要求されます。しっかりと教育していくことが、大学の大きな役割です。そういう意味でも、社会や地域における使命は大きいと思います。
横浜市が求める高等教育の資源
本紙 地域における大学のあり方としては、どのようにお考えですか。
松井 大学は、各エリアにあります。そのため、文化や教養、スポーツなどといった、地域市民の方々が望むものを提供するため、重要な役割があります。一方で、大学は『知』を広める活動をしています。高等教育の持っている、いろいろな資源を提供し、今後増えていくであろう、引退した団塊世代の人たちに対し、ハイレベルの公開講座の提案ができると思います。高齢になっても、再入学し、また活躍できる場を、大学が提供していきたいですね。知的レベルの高い高齢者が活躍でき、その人たちが持っている知識や技能、経験を、若い人たちに伝えてもらうことができれば、大学は非常に活性化します。
本学のある横浜市はもともと製造業の拠点です。そこで仕事を定年退職した人の中には、豊かな経験を持っている人が多くいると思います。その経験や知識が、若い人たちへの教育にも役立ち、大学のためにもなる。ゆくゆくは、産学連携のアドバイザーというような役割になっていただけたらと思います。
本紙 今後の課題として考えられていることはありますか。
松井 いまの若い人は、いろいろなことに興味関心が薄いですね。知的好奇心を引き出してあげる教育プログラムができないかな、と考えています。
現状として講義が÷`授業÷aになり、学生が÷`生徒÷aになっている。従来の大学が変質しているわけですね。だから、学生が、自ら学びたいという環境を作るためにも、大学で、学生の興味や関心を引き出していけるようなものをやらなければならないと思います。
また、大学教員自身もそうですが、教育者としても、もっと磨きをかけていく必要があります。われわれ大学の教員としても、経験をつんで、つねに学生の興味をひきつけるような、教育研究をしていかないと、すぐ学生に飽きられてしまうでしょう。
本紙 4年後には、125周年が控えていますが、現段階で、お話しできることはありますか。
松井 125周年に向けて議論はすすめていて、今年の4月ごろには、本格的にスタートします。その際には、募金活動などを行う予定です。また本学院には、大学のほかに幼稚園が2園、小学校が2校、中学高等学校が2校ありますが、各学校ごとの施設設備や組織改革など、実際にもう一度学院の活動の見直しがあります。125周年は、単なるイベントではありません。関東学院及び、関東学院大学の次への展開への大きな年になると思います。また、今後は「ホームカミングデー」を開催したり、OB・OG会と、もっと密接な連携をしなければならないですね。そのためにも、しっかりとした事業計画を立てて、協力を仰ごうと思っています。