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第35回 慶應義塾大学 安西 裕一郎塾長インタビュー

2006/12/25

安西 祐一郎(あんざい・ゆういちろう)

1946年生まれ、慶應義塾大学大学院工学研究科博士課程にて博士号取得。カーネギーメロン大学客員助教授、北海道大学助教授を経て、88年慶應義塾大学理工学部教授。01年より同大塾長となる。趣味はスポーツ(とくにラグビー、スキー、テニス)、読書、クラシック音楽鑑賞など。座右の銘は「一期一会」。何事も一回の出会いを大切にしたいと考えている。

創立150年を迎える慶應の進む道

いまこそ問われる「独立自尊」の精神

本紙 1858年(安政5年)福澤諭吉先生によって開学され、2008年に150年を迎える慶應義塾大学ですが、今日までの教育理念をお話ください。

安西祐一郎塾長(以下敬称略) 本学の根本理念は、創立者である福澤諭吉先生の言葉を借りれば、二つあります。一つは、建学の精神「独立自尊」です。

 独立とは、国家権力や、社会風潮に迎合しない態度を指し、自尊とは、自己の尊厳を守り、何事も自分の判断・責任のもとに行動することを意味します。現在の日本は、メディアの多様化により、さまざまな情報が飛び交っています。こうした状況において、周りに左右されることなく、自分にとって、なにが正しい情報なのかを、判断する能力が必要なのです。

二つ目は、「立国は私なり、公にあらざるなり」です。これは、国をつくっていくのは、国家ではなく、国民一人ひとりを指した÷`私÷aである、ということをあらわしています。 

 この言葉は、福澤諭吉先生が書かれた「瘠我慢の説」という、書物の冒頭にある言葉です。

 官から民へという言葉は、よく言われますが、これからの日本も、官立国家から民立国家へ移行する、大きな過渡期にあります。このような時代だからこそ、幕末から明治にかけて、夢と志をもって日本を変えていこうとした福澤諭吉先生の思想が、見直される時だと思います。

本紙 福澤諭吉先生が教育にこだわった理由はなぜだったのでしょうか。

安西 開国前の日本は、家格が人の一生を決める門閥制度が強い時代でした。福澤諭吉先生は、下級武士の出身だったので、無意味な身分差別にさらされていたそうです。しかし、開国がはじまり、さまざまな国との交流が進むにつれて、これまでの制度では、立ちゆかなくなってしまったのです。そうした時代の変化を受けて、福澤諭吉先生は、これからの日本は、生まれが人を決めるのではなく、学問が人を決めると考えたのです。これが「学問のすゝめ」という書物にあらわれていました。門閥制度による、儀礼的な習慣や常識にとらわれることなく、教育の自由・平等・権利の尊さを説いたのです。その考え方や、教育に対するこだわりは、いまでも通用するものだと思います。

 福澤諭吉先生が生きた、江戸時代から明治時代にかけてと、戦後50年から今日まで、似ている部分があると思います。一言でいうと、生まれが人を決めるとか、就職が人を決めるという時代から、自分が一生を決めるという時代になってきているのです。

 終戦から半世紀くらいまでの日本は、あまり勉強をしなくても就職が可能でした。そして、努力を重ねなくても、ある程度の生活を維持していくことができた。逆にいうと、どんなに秀でた能力を持っていても、自分とあわない所に入ってしまうと、能力を発揮できないまま終わってしまう時代でした。しかし、これからは、一人ひとりが努力をし、自らの能力を高めていかなくてはいけません。

 私はいまこそ、本学の根本精神である「独立自尊の精神」を持った人間でないと、生きていけないのではないかと思っています。

自己を失わず生きていく「独立と協生」の意義

本紙 貴学の掲げる「独立自尊」の精神そして、150年記念事業のコンセプト「独立と協生」は、慶應義塾大学の教育にどのように反映されているのでしょうか。

安西 いまの若い人たちをみていると、何をして良いか分からない人や、人のあとについて行動する人、みんながこうするから、自分も同じことをするという人が多いように感じます。

 本学が掲げる「独立」とはそれと反対で、自分がこうだと思ったら、勇気をもってやる。それが独立ということです。

 また、昔と大きく違うのは、これからは国際社会ということです。いまの若い人たちが活躍する場は、日本だけでなく、世界各地へとひろがってきています。これは福澤諭吉先生の頃よりずっとひろがりがあります。どこへいっても、独立心を失わず生きていくのだということを忘れないでいられるかが重要です。このことは、いうのは簡単ですが、実行するのは容易ではありません。

 しかし、独立して生きていく力だけでは、一種の猪突猛進になってしまいます。独立だけでなく、異なる要素を持つ他者と、協力しあう能力も必要です。例えば、高齢者と若い人たちが抱える、世代間のギャップがあげられます。

 世代が違うことによる問題はさまざまですが、お互いにギャップを埋めるための努力はしていかなければならないでしょう。また、世界に視野をひろげると、アジア諸国との関係も考えていかなくていけません。アジアに限らず、世界各国で起きている、民族間の対立なども問題です。

 これはかつてアメリカとソビエトが対立していた頃の、二極化時代とは異なり、非常に複雑化してきています。こうした時代において、「独立して生きていけばいい」ということだけを考えていては通用しません。異なる世代や、利害が反するような国同士などを協力させ、一緒にやっていく、そういう協力関係をつくる力が必要になると思います。こうした理念から、協力しながら生きていく、それが「協生」という言葉になるのです。

 「独立自尊」という言葉のなかにも、独立と協生の持つ意味合いが含まれています。それを150年の基本コンセプトとして伝えていくことが必要なのです。このコンセプトにそって、教育の在り方などを踏まえ、新しい活動にとりかかっていきたいと思います。

本紙 「協生」という言葉が出ましたが、慶應の同窓会組織「三田会」も、その精神に基づいているのでしょうか。

安西 三田会の歴史は古く、100年以上あります。福澤諭吉先生は、当時、卒業した若者がどのように成長していくのか、非常に関心を持っていました。そこで、大学を離れた者をつなぐため、1890年に「交詢社」を創設しました。

 交詢社は、塾生と卒業生が、お互いに知識を交換しあえる、教育の場となりました。また、日本最古の社交機関として、一般の人々にも浸透し、交流の場として、発展してきました。

 交詢社の精神は、現在の三田会での同窓生の結びつきの強さにも現れています。

 また、三田会というのは、大学がもっている組織ではありません。大学とは別の任意団体なのです。よく間違えられるのですが、三田会は多くの大学がもっている同窓会とは、異なる性質を持っています。

 三田会は世界中に863の組織がありますが、それらはボランティアとして活動しています。もちろん「慶應連合三田会」という全体組織があり、すべては、その傘下にありますが、慶應連合三田会自体も大学の団体ではありません。その力が、本学の強さになるのです。他大学にも、「どうやってその組織をつくったのか」と聞かれますが、100年以上の歴史の中から自然と生まれたものですからね。

 2001年4月からは「慶應オンライン」という、卒業生が利用できるメールアドレスが発行されたため、同窓生間の連絡もいっそう親密になっています。

「未来への先導」を掲げる慶應義塾の教育

本紙 日本における高等教育の役割と、慶應義塾大学の役割についてお話ください。

安西 これからの世界は明らかに、知識をベースにした社会になります。どういうことかというと、どんな仕事においても、知識を身につけていれば、日本だけでなく、世界のどこにいっても通用する、そういうグローバルな時代になります。社会を中核で支え、そして平和と繁栄と安定を念頭においた社会づくりをして欲しいと思います。そういったことを心がけていく人たちを育てることが、これからの高等教育機関の役割として、大事になってくるのです。

 現在の日本の大学の現状として、大学進学率50%という結果がでていますが、これは、18歳人口の2人に1人が大学進学をするという計算になります。これは、それだけ勉強したいと考えている人がいるということです。そういうふうにみれば、これから日本が知識立国として発展していくにあたって、非常に大きな財産になると思います。もちろん、大学に進学したら、きちんと勉強をしてもらいたいですね。そうでないと意味がありません。昔の大学では、あまり勉強をしなくてもよかったのですが、これからの大学生はきちんと勉強しなくてはいけません。卒業して、自分の力で食べていく時代だからです。

 例えば新聞社の仕事で考えると、仕事内容として、取材、編集、初対面の人との接し方など、基本的なことをしっかり身につけなくてはなりません。また、職業的な能力だけでなく、これからの国際社会で通用する、豊富な知識も持ち合わせていないといけません。だからこそ、教養教育というのが非常に重要になってくると思います。とくに大学1年生、2年生の教育が大切になってくるのです。

 これからの学生は、1年生からみっちりと勉強をして、自分に付加価値をつけて、社会に出てゆくことが必要になってくるのだと思います。

 また、日本の社会は、高齢社会になり、これから年代層が上がっていきます。その中で、30~40、50代の人が大学で勉強できるようにするべきです。例えば、社会人の方が「こういう仕事がしたい」と思ったら、そのための予備的な勉強を改めてできるように、世の中を改革すべきだと思います。

 グローバルな知識社会を迎え、本学の役割は、国際社会や地域社会で、独立と協生の力をもって先導していけるリーダーを育てていくことだと考えます。これはどこかの大学がやらなければならない教育だと思います。本学はその役割を担うべき大学なのです。リーダーを育てるというと勘違いされがちですが、リーダーとは、偉いという意味ではなく、社会における一つの役割だと思います。例え、自分を殺しても、新しい社会を創っていく人々が必要なのです。それを福澤諭吉先生が、明治時代の日本で創りました。本学は、社会のさまざまな分野で活躍できる多様な人材を輩出し、わが国だけでなく世界の産業界、学界等に高度かつ広範な貢献を果たしてきました。本学は、それをもう一度やるべきだと思っています。この原点に戻り、そして、未来を見通して、教育を行うべきなのです。福澤諭吉先生の言葉で「全社会の先導者たらんことを欲するものなり」という言葉がありますが、それを本学は実行していくべきだと考えています。いまは、地球も狭くなりましたし、明治の時代とは違います。未来への先導者でなくてはならないのです。そのため、創立150年のテーマとして「未来への先導」という言葉があげられました。

本紙 最後に、慶應義塾大学を志望する高校生に、これだけはやってきて欲しいということをお話ください。

安西 慶應義塾大学の夢を共有してもらいたいですね。そして、高校生には、未来への先導者として自らの夢をもってもらいたいと思います。本学と、未来の塾生が抱く夢は、彼らが社会に巣立つ時に開けるのです。

 同じ質問を福澤諭吉先生にされたとしても、同じことを話したでしょう。私の頭のなかには、常に「福澤諭吉先生だったらなにを言うかな」ということがあります。

 このことは、歴代の塾長も同じだと思います。これまで、いろいろな言葉で話していますが、本学は、一貫して、福澤諭吉先生の精神を語ってきたと思います。もちろん自分の思いも含めてですが。本学が掲げる夢は同じです。

 高校生にも、塾生にも、そうした意義を持って学んでいって欲しいと思います。

本紙 本日はどうもありがとうございました。

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