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溝上慎一(みぞかみ しんいち)京都大学高等教育研究開発推進センター・准教授。京都大学博士(教育学)。 1970年福岡県生まれ。1996年大阪大学大学院人間科学研究科・博士前期課程・修了。同年4月京都大学高等教育教授システム開発センター・助手を経て、2003年より現職。主な著書に、『大学生の学び・入門 大学での勉強は役に立つ!』(有斐閣)、『心理学者、大学教育への挑戦』(ナカニシヤ出版)など多数。 http://smizok.net/

第2回 大学の授業で学生を成長させるその次元は?

2007/06/25

 前号では、大学教育改革の主たる成果が学生の学習の質を指標として考えられるようになった近年の傾向を概説した。しかし、学習の「質」を表す次元は多様である。ここでは「知識」「技能」「学習意欲」の水準で今日の大学教育改革の現状を概観する。

第1に、学習すべき「知識」内容である。一般的に言って大学教員はここにはかなり固執してきた。教育改革と上からうるさく言われなくても、自発的に改善がなされてきた。内容が難しすぎて一部の学生しかわからない授業も以前はあったが、それは厳格な成績評価や学生の学習を成果指標としていく昨今の流れのなかで、良識的な水準に落ちついてきている。さほど心配は要らない。

第2に、学習「技能」である。大いに問題である。とくに、教えられない知識や考え方を処理していく技能、アクティブ・ラーニングの技能が弱い。めまぐるしく変わる現代社会を生きる上で、人は教えられる以上のことを自発的に学習しなければならない。それがこの技能と深く関連している。アクティブ・ラーニングの技能は、「論理的・批判的思考力」「情報処理力」「対人理解力」「イニシアティブ」などの下位次元から構成される。本質的には、政府や労働・雇用分野で用いられる「社会人基礎力」「コンピテンシー」にも通じるところが多い。こうして、学生が卒業後現代社会を力強く生きる技能としての性格が付与され、非常に一般的な生きる力を表す技能ともなっている。

大学側は「職業専門学校ではないのだ」と説明して、この手の技能習得に消極的姿勢を示してきた。必要性が認識される場合でも、キャリア教育の一貫として育成されるべきだと考えられることが多かった。しかし、この1、2年急速に、アクティブ・ラーニングの技能が海外の大学では一般の授業を通して育成されている実態が示されるようになってきた。それは、現代社会を生きる上で直面する、知らない知識や考え方の学習、意見の異なる他者との議論、そうしたことを通しての知識やアイディア、企画の創出といった一連の作業が、高度で抽象的な知識をもとにすることが多く、それはキャリア教育でも、授業外のクラブ・サークル活動、アルバイトではなかなか身につくものではないと考えられているからである。彼らはこのような技能を「汎用的技能genericskills」と呼び、シラバスには授業を通して身につくと考えられる技能の次元が明示化される。わが国の高等教育は、いまこの技能習得をシステム化することができるかを検討している。果たしてできるだろうか。

第3の「学習意欲」について。今日の大学生の学習意欲は、一般的に言って決して低くはない。世界的に見て、学生のこれだけのまじめな学習態度を創出できているわが国の実態は、初等・中等教育の成果に負うところが大きい。国内では問題が噴出していても、世界的に見ればまだまだ水準は高い。しかし、学習意欲にも下位次元があって、わが国の学生は教えられること、与えられる課題に対する意欲は高いが、与えられないこと、答えのない課題に向かう意欲は極端に低い。これは現代社会をにらんで深刻な問題だ。第2の技能の問題も深く連関している。OECDのPISAの調査結果がわが国に示した問題もここである。

高等教育では、この技能と学習意欲の問題を混合させて、新たな教授学習改革が力強く推し進められている。しかし、多くはここぞという最後のところを突破できずに足踏みしている。それは何か。連載の最後の答えとして残しておこう。

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