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溝上慎一(みぞかみ しんいち)京都大学高等教育研究開発推進センター・准教授。京都大学博士(教育学)。 1970年福岡県生まれ。1996年大阪大学大学院人間科学研究科・博士前期課程・修了。同年4月京都大学高等教育教授システム開発センター・助手を経て、2003年より現職。主な著書に、『大学生の学び・入門 大学での勉強は役に立つ!』(有斐閣)、『心理学者、大学教育への挑戦』(ナカニシヤ出版)など多数。 http://smizok.net/

第3回 大学での勉強は役に立つのか?

2007/08/25

 そこまで大学での学習をうるさく言う必要があるのだろうか。近代工業社会から知識社会への移行、創造性の開発……。いろいろ言葉は飛び交っているが、大学でしっかり勉強することが、いったいいかほどの意味をもつというのだろうか。しっかりと勉強した者が有名大学へ合格する高校までの勉強とは違って、大学での勉強はこの点がわかりにくい。欧米と違って、大学でしっかり勉強したかどうかが、基本的なところで就職時に反映されるようにもなっていない。

 しかし最近になって、大学でしっかり勉強した者の卒業後の仕事ぶり(所得や昇進、転職など)がそうでない者と比べて異なることが、いくつかの調査研究で示されるようになってきた。つまり、俗っぽく言えば、大学でまじめに勉強すれば将来必ず出世するというわけではないが、勉強しなかった者は出世しないことが多いことを、そうした調査結果は示すのである。大学時代、クラブやサークル、アルバイトなどを通して人間関係、コミュニケーションを育むことが将来において重要だとよく言われたが、そしてそれらの影響はたしかにあるだろうが、それだけではだめなのである。それに加えて、やはりしっかりとした学習の蓄積が必要なのである。

 いま私が関わっているある大学生全国調査で、前号で紹介した学習技能、いわゆる汎用的技能の獲得状況を現役学生に尋ねている。興味深い結果は、汎用的技能がしっかりとした学習状況に支えられて形成されていると、現役の学生自身が認知していることである。しかも、学習が重要だと言っても、それはまじめに授業に出席することを意味しない。昨今のように、誰もが授業に出席するようになった時代では、この要因が効いてくることはちょっと考えにくい。効いてくるのは、授業の予習・復習、課題などを含めて授業外でどれだけ勉強しているかである。この結果は、敷延して、学習を中心にしてどのように一週間の学生生活をマネージメントしているか、という話につながる。

 そもそも大学教育は、高校までのそれと比べて、非常に答えの不確かな世界で教育がなされてきたという特徴をもっている。否、それこそが現実世界の縮図でもある。教育をする限り、答えがまったくないということはあり得ない。しかし、高校までの教育と比べると、限定された答えとして、学生の反応を評価できる範囲はぐっと狭まる。

 ということは、学生がどれだけ自らの視点で世界を見てものを考え、自分の見方や考えを言葉にして他者に伝えられるか、そのために必要な知識をどこでどうやって身につけるか、そうした一連の学習が大学では本質的に問われているということである。先の卒業生を対象にした調査で、たとえ大学での学習が将来の仕事ぶりに効いていたという結果が出たとしても、その該当者たちは授業によって自分たちは育てられたのだとは思わないだろう。きっと、授業はあくまできっかけで、授業外を通してゆるやかに自分で勉強してきたのだと思うことだろう。それは現役学生を対象にした汎用的技能に関する大学生調査の結果にも、まったく同じように当てはまる。

 連載の最初に述べたこの10年の大学教育改革の大きな成果は、学生をとにかく授業に参加させたことにある。その分、授業以外で勉強をしようとする意欲、時間をずいぶんと奪ったことにもなる。しかし、大学教育は授業で学生の汎用的技能を育てるようにはシステム化されていない。調査が示したのは、そんな余裕のないなかでも、自主的に勉強をした学生が力をつけている、そんな結果である。大学教育システムを、どう再構築するかが問われている。

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