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1955年東京生まれ。東京大学大学院教育学研究科¥教授。米国ノースウェスタン大学大学院で社会学博士を取得。専門は、教育社会学、比較社会学。主な著書に『階層化日本と教育危機』(有信堂、第1回大佛次郎論壇賞奨励賞受賞)、『教育改革の幻想』(ちくま新書)、『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書)、『知的複眼思考法』(講談社)、『教育の世紀』(弘文堂)、『考え合う技術』(共著、ちくま新書)ほか多数。
第3回 進学率上昇の意味するもの
2005/08/25
8月上旬、文部科学省が平成17年度の学校基本調査の速報値を発表した。その結果によれば、17年春の大学・短大進学率(過年度生を含む)がはじめて50%を超え、51.5%に達した。この数字に、専修学校の進学率23.9%を加えると、高等教育機関への進学率は、実に76.2%に達する。18歳人口の4人に3人以上が何らかの高等教育を受ける。まさに「すべてのものに高等教育を」がほとんど実現した時代を迎えたといってよいだろう。
他方で、もう一つ目を引く調査結果の報道があった。日本私立学校振興・共済事業団が発表した今年春の入学志願者動向に関する調査である。それによると、定員を充足できない大学が160校にのぼった。この数は、私大全体のおよそ3割の大学にあたる。いまや3分の1の大学が入学者を十分集めることができず、空席をもてあましている。
これら二つの調査結果から浮かび上がるのは、生徒が選り好みさえしなければ、大学はほぼ全入状態に近づいたという事実であり、専修学校への進学を含めれば、大多数の高校生にとって、高校教育は完成教育の場から進学準備教育の場に変わったという事実である。そして、これら二つの現象が同時に起きているところに、高校教育と高等教育との関係をめぐる新たな問題が提起されている。その背後に、18歳人口が近年また一段と減少したことがある。
進学準備教育というと、かつてなら受験教育を意味した。受験競争を勝ち抜くことが「進学準備」だった。ところが、すでに多くの大学が定員を充足できず、受験競争の圧力は、一部の大学を除けば相当減圧された。AO入試や推薦入試などの増加によって、一般入試を経ずに進学する生徒も大幅に増大した。受験勉強がまったくなくなったわけではないが、進学準備教育の意味が大きく変わったことは間違いない。すなわち、大学に入るための準備から、大学に入ってから受ける教育に備えるための教育への変化である。
それでは、大学入学後の教育のための準備とは何のことを指しているのか。それが何かを考えるためには、大学がこれまで以上に、何らかの付加価値を学生につけなければならなくなっているという、学歴社会の変化に目を向ける必要がある。大卒学歴を得るだけでは、就職の際にも、就職後の職業生活においても通用しない。そういう地殻変動が背後にあるのだ。
学校基本調査によれば、大学卒業後に、進学も就職もしない学生が増えている。就職したとしても「一時的な仕事」につく卒業生も増加している。今春の数字は昨年より若干下がったものの、4年制大学卒業者のうち、進学も就職もしない者の比率は18%に達している。ほかにアルバイトなどの一時的な仕事に就いた者が3.5%おり、合計すると20%を超える大学生が明確な進路を決めないまま卒業している。また、留年や退学する学生も増えているといわれる。大学に入っても、途中でドロップアウトしたり、社会へのスムーズな移行ができない、そういう学生が増え続けている。大学に入りさえすれば自動的に卒業して、就職ができる時代は終わってしまったのだ。裏返せば、大学でどんな力をつけたのか、将来の進路を見据えた選択ができるようになったのかが問われる時代になったということだ。
これらのことを高校側からみれば、ともかく大学に入学させれば十分というわけにはいかなくなったということだ。大学に入ってから学生たちがどのように学んでいくか、そして、卒業までに進路意識を明確にもてるか。これらのことを可能にする大学選びと、事前の準備態勢ができているか。こうしたことが高校側に問われるようになっている。授業にあまり出ずに誰かからノートを借りて何とか単位をそろえて卒業すればどうにかなる、そういう時代はとっくに終わった。大学でどのような力を身につけたのかが、卒業後の進路を決める上でますます重要な意味をもつようになってきているのである。
高校までの学習の仕方は、大学での学習の仕方と大きく異なる。大学で学ぶためのスキルを高校で意識して教えているのだろうか。大学というところが、どういう教育の場で、何をすればコストに見合う力を身につけられるかを、高校で学べているのだろうか。大学での教育にスムーズに移行できる準備をすること。本来の意味での進学準備教育が、やっと日本でも求められるようになったということである。