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苅谷剛彦(かりや たけひこ)

1955年東京生まれ。東京大学大学院教育学研究科¥教授。米国ノースウェスタン大学大学院で社会学博士を取得。専門は、教育社会学、比較社会学。主な著書に『階層化日本と教育危機』(有信堂、第1回大佛次郎論壇賞奨励賞受賞)、『教育改革の幻想』(ちくま新書)、『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書)、『知的複眼思考法』(講談社)、『教育の世紀』(弘文堂)、『考え合う技術』(共著、ちくま新書)ほか多数。

第4回 「小さな政府」と教育

2005/10/25

 9月の総選挙が終わり、自民党が大勝した。郵政民営化の是非をめぐる選挙といわれたが、自民も民主も「改革、改革」。競い合うように「小さな政府」をめざした選挙だった。郵政の次には、三位一体の改革、そして数値目標まであげた公務員削減を中心とする公務員改革が待ちかまえている。削減されるのは、国家公務員だけではない。総務省は、地方自治体改革の指針として09年までの5年間で地方公務員を4・6%削減することを発表した。

 この方針は、教育の世界にも大きな影響を及ぼす可能性がある。それというのも、総数およそ311万人の地方公務員のうち、公立学校の教職員は117万人と、全体の38%を占めるからである。しかも、その数は、国の法律である標準定数法で決められている。警察官の26・6万人、消防の15・5万人と合わせると、およそ半数の地方公務員の定員は国が決めており、地方が自由に調整できない。そのため、全体で4・6%を削減するのが難しいという声が上がれば、今まで手付かずで、標準法で守られてきた教育公務員も、削減の対象となる可能性がないとはいえない。

 その動向を決めるひとつが、三位一体の改革だろう。万一、地方団体が求める中学校教員の給与分8500億円が一般財源化されれば、次に起こるのは、定数管理の国による縛りの解除である。それもまた、地方分権の名のもとに行われるのは必至である。

 それでなくても、少子化のもとでの教職員の高齢化が、子ども一人あたりの教育にかかる人件費の高騰を招くことがわかっている。選挙を通じ国民がゴーサインを出した「小さな政府」の実現に、公立学校教職員だけが聖域として削減対象から外れる保障はないだろう。

 それにしても、一見、国民にとって公共サービスの切り捨てになる公務員の削減が、これほどもてはやされるのはなぜだろう。その背後には、「官」への不信とともに、既得権益者としての「官」へのうらみやねたみといった国民感情がある。民間では雇用の流動化が進み、正社員の数がどんどん減らされている。2010年には全就業者のうち正社員の占める割合が5割を切るという、「正社員時代の終焉」を予測する研究もある。市場原理がもたらす競争にさらされている人びとから見れば、公務員には、雇用を保証され、税金によって甘い汁を吸う「特権的」なイメージが付与される。たいした特権ではないのに、不安定層が増えた分、公務員への反発は相対的に強まる。それが、郵政民営化を称える首相への支持にも一役買ったのだろう。

 こうした公務員バッシングの一角に教員も含まれている。これは、危険な兆候である。というのも、公立学校への不信が募れば、それが教職員の定数削減を許す大衆心理と簡単に結びついてしまうからである。公教育の水準を守ろうとする議論も、教育公務員という既得権益集団を守るための主張と見なされかねない。実際、当面は義務教育費国庫負担金を守るほうがいいという主張をある会でしたところ、フリーライターをしているという参加者の一人から、「結局は教員の既得権益を守るということですよね」といわれたことがある。夫婦そろって教師なら、年収は1000万円を超え、しかも、小学校教員ならたいてい5時には帰れる。土日も休みで、不況でクビになる心配もない。教師の多忙化が問題だとこれだけ教育界でいわれる割に、世間の受け止め方が今一つなのも、こうした「官」の「特権」への冷ややかな見方がベースにあるからだろう。

 国も地方も財政事情が悪化する中、民間の雇用市場の厳しさが増せば、安定した「官」への風当たりはさらに強まっていくだろう。処遇に見合うだけの仕事をしていることに世間が納得しなければ、こうした国民感情を変えるのは難しい。それが露呈した選挙だった。「小さな政府」と公教育の質の維持とをどう両立させていくか。感情に流されない議論が重要だと思いつつ、理屈だけでは通らない厳しい現実にも目を向けなければならない。

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