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第1回 大学法人化時代の高等教育

2004/04/25

 平成十六(二〇〇四)年四月一日、わが国の高等教育の歴史にとってもエポック・メイキングな大学法人化が実現した。すなわち全国八十九の国立大学と、公立大学としては唯一、秋田県に新設された国際教養大学が、独立行政法人法の法律的枠組みのもとで、それぞれ国立大学法人、公立大学法人としてスタートしたのである。高等教育の制度史上は、明治初期の発足期、第二次大戦後の改造期に次ぐ、第三の大改革だといってよいであろう。

 このような歴史的転換期にあって、わが国の高等教育が直面している課題は実に大きい。なぜなら、いわゆるグローバル化の進展は、今後、高等教育の領域をも巻き込んでますますボーダーレスになっていくことは間違いなく、「日本人学生を対象に日本人教師が日本語で授業をする」といった従来の日本の大学における「知の鎖国」は、もはや国際的に通用しなくなるだろうからである。私自身、現在、国際的な単位互換(Credit Transfer)によってアジア太平洋地域の大学間交流を促進するための国際組織UMAP(アジア太平洋大学交流機構)の国際事務総長を兼務しているので、このところしばしば高等教育に関する国際的な会議に出る機会が多いのだが、アジア太平洋地域においてもオーストラリアやシンガポールなどは高等教育を二十一世紀のきわめて重要な「輸出産業」だと戦略的に位置づけており、したがって優秀な留学生を招いて自主財源確保の一助にしようと真剣になっている。つまり「留学生市場」における国際競争がすでに熾烈化しているのである。こうした状況下では、当然、大学教員はもとより事務方の職員も、国際的なコミュニケーションの手段としての英語の運用能力を十分に身につけており、ましてやe-learningの時代を迎えつつあるだけに、大学の教職員たる者にとって英語力は最低の雇用条件になってきている。

 翻ってわが国の大学はどうであろうか。国立大学法人となった多くの大学で、たとえば庶務や総務を担当する職員で英語で仕事ができる人材はおそらく一割にも満たないのではなかろうか。これでは日本の大学が国際競争力をもつどころか、国際競争のスタートラインにさえ立てないことになる。

 国公立大学の法人化は、大学の自主・自律を促す上でも、国際化や社会化をもたらす上でも、避けて通れない課題であったといえよう。だが、設置形態や制度や組織がいくら変わっても、肝心の中身が根本的に変わらない限り、日本の大学は国際的な競争力をもち得ないのではないか。大学法人化に際して必要なことは、教職員個々人の総点検を含む大改造であり、場合によっては総入れ替えが必要であったはずなのに、そのような改革がなされないままの法人化時代の到来であった。

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