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第42回 白梅学園大学・白梅学園短期大学 汐見 稔幸 学長インタビュー
2008/02/26
白梅から子ども学を発信
汐見 稔幸(しおみ としゆき)1947年生まれ。東京大学教育学部卒、同大学院博士課程修了。東京大学大学院教育学研究科教授を経て、2007年4月から白梅学園大学教授・副学長。10月より学長。専門は教育学、教育人間学、育児学。 著書に『親子のハッピーコミュニケーション』、『親だから伸ばせる中高生の「学力」と「生きる力」』、『子どものコミュニケーション力の基本は共感です』など多数
21世紀こそ子ども学を
汐見稔幸学長(以下敬称略) 学問というのは、盛衰というのがあります。ある時期に「ナノ」、別の時期には「バイオ」がはやったように。ただ、これからの21世紀に衰えることなく絶対に必要な学問というのがあると思うのです。それは、環境に関する学問と、もう一つ、人間についての学問です。
人間が普通に育って大人になっていくという、誰もが当たり前にできると考えられていたことが、実はそう簡単なことではないことが最近わかってきました。これまで人類は子どもを育てることについては、別に学問的に作ってやってきたのではなくて、地縁・血縁的なシステムで自生的に担ってきたわけです。
だからみんな、「たかが子育ての問題だ」と思うかも知れません。しかし、昔のように原っぱや河原などの遊び場があるわけではなく、子どもが自由に走り回れる環境もなくて、一体どうしてたくましく、心豊かに、育てることができるでしょうか。
自明のように思われてきたことほど、学問的には解明されていません。私たちは自明のように行われてきたことを、一から研究しなければならなくなっているのです。
本紙 子ども学は、人類の存続までを考える学問なのでしょうか?
汐見 子ども学というのは、結局、人間についての学問です。人間の抱えた、抱えるだろうという問題をできるだけ根源にさかのぼって、できるだけいい方法で解決していくための学問です。その根っこには、コミュニケーションの問題があります。
いま、社会で深刻な問題はほとんどがコミュニケーションの問題です。かつては人々が協力して、コミュニケーションを積み重ねながら社会を作ってきましたが、現在はそのところをうまく訓練されないまま、放っておくとどんどんバラバラになる社会です。つながりが無くても、生きていけると思ってしまうのです。
そうすると、改めて人間にとってコミュニケーションとは何か、どれほど大事なのか、その能力は赤ちゃんのときからどうやって身につけていくのか、失敗したらどうすればいいのか、それを修復するためにどうしていくのか、そういうことをきちんと明らかにしなければならないのですが、それだけの学問がまだ十\\\\分に用意されていない。それが今、大学に求められているのです。
本紙 白梅学園の子ども学の考え方というのは、根源までさかのぼっていくところが、他大学と違うところですか?
汐見 子ども学の中を見ると、旧来の保育学科プラス小学校課程というところが多いと思います。
それは大学としての必要な対応策だと思いますが、白梅の場合、もちろん似たような事情がないわけではありませんが、もっと「子どもと社会」、「子どもと文化」、「子どもと人間関係」などを、できるだけ根源から考える学問としていこうとしています。
本紙 「子ども学=人間学」ということは、人間を知るためには、まず子どもからということなのですね。
汐見 子ども学はたしかに、抽象的で理解しにくいかもしれません。
もともと子どもは、社会にとって、あどけなさとか、無邪気さだとか、無垢だとか、ある種のロマンとともに語られてきたという時期があったはずです。それがいつの間にか、不安とともに語られるようになっている。虐待だとか、イジメだとか……。
そういう子ども観の変遷というものは、何を意味しているのだろうか−。例えば、そういうことを、きちっと分析していかなければならないと思いますね。
また、子どもの本質は遊びだというくらい、子どもは遊びます。そういう遊びというものが、仮に子どものあり方の本質なのだとしたら、では遊びというのは人間全体にとってどういう意味のある行為なのか、当然、問いになります。大人がだんだん遊べなくなってきているのであれば、大人が人間の本質から遠ざかっていることになります。
毎日仕事をして、必死で生きていても、それが、人間の本質から遠ざかっているのであれば、私たち大人の方がおかしくなっているわけです。人間が地球を滅ぼそうとしているのも、そういうことと関係があるのかも知れません。
本紙 最近、地域で子どもの声が聞こえなくなった、子どもの姿が見えなくなった、とよく聞きますね。
汐見 夕方になって、小学校から帰ってきた子どもたちが、家の周りでドッジボールや缶蹴りなどの遊びをしているときは、甲高い声を出して遊びます。子どもたちの甲高い声を、街の一つの風物詩のように、隠居したお年寄りは楽しみにしていたものでした。夏には、道に縁台なんかを出して、そこでおじいちゃんたちが将棋なんかをしていて、子どもは横でみていて、「おじいちゃん、将棋を教えて」と、街のお年寄りと子どもたちの交流がありました。
しかし、最近は家族構成の変化などで、お年寄りと子どもが一緒に住む機会が少なくなり、老人や高齢者の方が、そういう子どもたちの甲高く楽しそうに遊んでいる声を「キンキン、キャンキャンする声がうるさい」と捉えることが多くなって、子どもの声が聞こえなくなってしまいました。
昔のローマの思想家の言葉に、「街に子どもの歓声が聞こえなくなったら、やがてその街は滅びる」とあります。それは名言ですね。時代が違うにしても、日本は今、街に子どもの歓声が聞こえなくなりつつあるわけで、その意味を考えなければならないと思います。
本紙 白梅学園では、「子育て広場」を地域連携で行っていますが、それは一つの新しい動きとして、昔のように復活させていきたい、という思いがあるのですか?
汐見 いや、私たちは単純に昔には戻せません。道路を舗装してしまったところを、昔のようにデコボコ道路にはできません。だから私たちは、現代風の遊び場を作ろうとしています。
昔は、地縁、血縁で支えられていました。ここに来ると子どもたちが友達と自由に遊べ、子どもたちの責任で、自由に木にのぼったり、洞穴をほったり、たき火して焼き芋を作ってもいい場がありました。そういう冒険遊び場づくりが全国でも広がってきています。先日も代々木で、全国集会を行いました。やはり、そういうような広場が必要なのですね。
「遊びの指導員」がいて、地域の人やボランティア、また大学で、そういう場所を作れないかということで、学生も一生懸命、関わってくれています。
本紙 学生たちも地域の中にとけ込んでいましたね。
汐見 保育、広い意味で教育に関わる者は、学生時代に、机上の勉強だけでなく、一年間くらいは現場に行って、現場の問題を一通り体験できれば一番いいと思っています。人の体に触れる仕事には、資格が必要で、失敗はできないという“重さ”を負っているわけです。医者だけでなく、保育士もそうです。
ですから、できるだけ学生時代に、実際に体験しながら、徐々に体で覚えていく訓練をしなければ、優れた保育者や教育者にはなれないと思います。さいわい白梅は、大学が直接運営している、子育て支援の場所を持っていますので、それを活用していきたいと思っています。
本紙 学生から「実習とは違った」という感想が多く聞かれ、何かリアルな体験をしたという印象を受けました。
汐見 実習では評価が伴いますし、「先生の言うことを聞かなければならないし……」と緊張気味になってしまうのはいたしかたありません。しかし広場での経験は、自分で目標を作り、考えて、保育に関わる。そこで何を学ぶかは、学生次第なのです。
本紙 4月に大学院が開設されますが?
汐見 本学には、「子ども学研究所」というものがあり、これから研究活動を始めます。大学院が、その担い手になってくれることを期待しています。
子ども学は、まだきれいな形でできているわけではありません。いろいろな外部の人を呼んだり、シンポジウムなど重ねたりしながら、子ども学構築に向けて社会に発信していくことを考えているところです。
そして全国で、同じような思いを持つ大学や研究室と手を取り合いながら、人間について、子どもについて、根本から学問を発展させていこうと考えています。そうしないと、社会そのものが非常にあぶない時代です。それに少しでも貢献していきたいなと思っています。それが、私たち学問を志す人間の責任だと思います。
本紙 汐見学長は、今までの経歴から、白梅学園大学を外から見ておられたと思いますが、どのように見られていましたか?
汐見 白梅というのは、もともとヒューマニズムというものを建学の精神としています。それに共感する部分はたくさんありました。
ヒューマニズムとは人間中心主義ではないかと、批判もあります。ですが、私は必ずしもそうではないと思います。ルソーが『エミール』という本の中で、「人間が新しい社会を作るためには、アムール・ドゥ・ソ\\\\ワとピチエが大切だ」と書いています。自分を大切に思う気持ちと人と共感・共苦する気持ちです。
白梅がめざしたヒューマニズムも同じなのです。人の喜びは自分の喜びであり、人の悲しみは自分の悲しみであると感じられる、それは人間性の基本です。自分を大事にしない人間には、人を大事にする力はありませんし、同時に人の喜びを自分の喜びのように感じる力がないと社会は作れません。こうしたルソーの思想を、現代風に継承しようとしている大学だと思います。
ヒューマニズムの精神は、これからもずっと引き継いでいかなければなりません。だからこそ4年制大学はもちろんのこと、短大でも教養に力を入れてきたのです。教養を学び、社会に出ていくまでに、人間にとって人間がどれだけ大切なものなのか、人間性を損なうということは、いったい何を失うのかということなどを、必死になって、考えてもらえたらという想いがあります。
本紙 冒頭で、コミュニケーションの問題が根っこにあるとおっしゃっていましたが、汐見学長には『子どものコミュニケーション力の基本は共感です』という著書もあるように、白梅のヒューマニズムの精神とが、一致しているのですね。
汐見 そうですね。白梅に赴任したときの印象は、幼児教育をこのよきもの、という気持ちで、全員がばらばらではなく、ある方向を向いて努力している大学だと感じました。たしかに規模は大きくはありませんが、みんな良い教育をしたい、良い大学を作りたいと必死です。これがある限り、白梅学園はもっともっと発展していくはずです。