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第1回 大学は誰のためにあるのか
2008/04/02
「大学は誰のためにあるの?」と質問されたら、どのように答えるだろうか。そのようなアンケート調査をみたことはないが、一度試みたら面白いかもしれない。常識的に考えれば、「学生のため」と答える者が多いだろう。学生といっても、経済的に豊かな層が多いから、「お金持ちのためにある」と答えるかもしれない。
その一方で、教育と研究を通して社会に貢献するのが大学の使命だから、「社会全体のため」という回答もあるだろう。あるいは、「教員のため」という皮肉な言い方も出るかもしれない。そして、こうした回答の分布は、時代とともに変化しているに違いない。
しかし、「そんなこと考えたこともない」というのが世間の感覚だと思われる。無意識とはいえ、この世間の感覚は正直に吐露されている。その正直ぶりは、大学の資金調達に現れる。「大学の資金を誰が支払っているか」という問いの答えは、「大学は誰のためにあるのか」の答えと同じだ。
「誰が支払っているか」はすぐ分かる。学生ないし家計が授業料を支払っているのは、大学が学生ないし家族のためにあると考えているからだ。一方、見知らぬ他人から集めたお金を見知らぬ他人が利用する大学に支出されるのは、つまり、税金が投入されるのは、大学が見知らぬ他人の集合である社会のためにあると考えているからだ。
このように考えれば、世間の感覚は簡単に計測できる。そこで、大学に投入された税金の総額と家計が負担した総額の時系列を示すと図のようになる。政府の支出は、国立大学(法人)の支出から収入を差し引いた金額に私立大学の国庫補助金を加えた総額。家計の支出は、国立(法人)の授業料・入学料・検定料および私立の学生納付金の合計である。
戦後から1982年までの間は、政府の負担額が家計の負担額をやや上回る程度に推移していた。ところが、82年以降には、状況が一変する。82年から92年までの10年間は、政府の総額はほとんど増加せず、9千億円程度に低迷していた。バブルの崩壊による不況対策があって、1兆4千億円ほどまでに増加したが、この10年間は再び停滞している。
その一方で、家計の教育費負担総額は、戦後一貫して、増加の一途を辿ってきた。現在では、2兆7千億円ほどで、政府の2倍ほどの金額。大学教育費総額4兆1千億円のうちの3分の2は家計の負担になっている。
大学が「社会のためにある」と考えるなら、税金を投入するのが筋。ヨーロッパの大学に授業料がないのは、大学が広く社会に有益だと判断されている結果だ。逆に、「個人のためにある」と考えれば、個人(家計)の負担になる。この二つの考え方のバランス感覚が、教育資金の多寡に現れる。このように解釈して図を読めば、この30年ほどの間に、日本の大学は、「社会のための大学から、個人のための大学へ」大きく変わった。それが、大衆化した今日の大学に対する世間の無意識の判断である。
この連載では、「個人のため」「社会のため」という二つを基本柱にして、大学政策のあり方を多面的に検討することにしたい。