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矢野 眞和(やの まさかず)工学博士。専門は高等教育政策、社会工学、教育経済学。著書に『大学改革の海図』(玉川大学出版部)など多数。

第7回 大学と文科省のキャッチボールは止めよう

2008/11/01

 30年ほど前の話だが、大学の教授法に関する研究会に参画したことがある。そのころには、大学人がこうしたテーマを正面から取り上げることはほとんどなかった。日本の大学教員は、自分が「教育者」であるよりも「研究者」であると強く意識しているから、教授法の話などは、むしろ蔑視(べっし)されていた。

 教育に鈍感で済まされていた時代のこの研究会で、私は、「教育はサービスである」「あらゆるサービスの基本原理は、相手の身になって考えることだ」「そうでなければ、サービスの商売は成り立たない」「だから、サービスである教育は、学生の身になって考えるのが基本だ」という話を切り出した。経済のサービス・モデルをベースに教育を考察したつもりだったが、参加していたお偉い先生方は眉をひそめて驚いていた。

 教育を顧客サービスのアナロジーで語るのは無謀な時代だった。あれから、30年。時代は大きく変わった。「初年次教育」「リメディアル教育」「フレッシュマン・セミナー」「サービス・ラーニング」「キャリア教育」などなど。学生の身になって考える「顧客(学生)満足経営」の教育実践が、大学改革の一つの柱になった。大学人は、研究者である前に、教育者でなくてはならない。そんな時代になった。

 入学後に勉強するA型の大学/学生が増え、大学と学生の関係が変わりつつあるのは大賛成だが、最近は、大学と文科省の関係も大きく変わった。こちらの変化は、必ずしも健全だとはいえない。新しい関係の構図は、中教審答申の言説によく現われている。『我が国の高等教育の将来像』(2005年)が答申された時から気になっていた文言が二つある。

第一は、国の役割について記した次の言葉である。「『高等教育計画の策定と各種規制』の時代から『将来像の提示と政策誘導』の時代への移行と言うことができる」と書かれている。計画と規制を並列して処理する言語感覚はまったく理解できないが、国が大学を「政策誘導」する時代に変わったと宣言している。これが、有力大学の学長を経験しているお歴々が委員として並ぶ中教審の答申だから、なお驚かされる。

 第二は、高等教育機関の多様な機能に応じた「きめ細やかなファンディング・システム」を導入して、大学を「支援する」というくだりである。研究のCOEプログラム、特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)などによって、競争的、重点的に資金を配分するのが、きめ細やかなファンディングの中身だ。大学の研究は、大学内のメンバーに閉じて行うものではなく、目に見えないインターカレッジのネットワークで行うものであり、大学間の競争よりも研究者間の競争が大事。きめ細やかなファンディングではなく、骨太のファンディングが国の役割。そのように思っている私は驚くばかりだ。

 要するに、この答申は、大学を「支援」して「誘導」すると言っている。しかも、COEやGPの 採択が、大学の評価に使われている。こうした因果連鎖が構造化して、大学と文科省が改革のキャッチボールするようになった。学生よりも文科省を見て改革している大学も少なくない。これでは、本末転倒だろう。文科省が悪いと言いたいわけではない。大学の主体性と見識が極めて貧困になったことの証だ。かなり悲しい関係に陥っている。

 教育を忘れていた大学人が、何をどのように教育してよいのか分からなかったのは、本当のところだろう。だから、GPなどのアイデア募集は、大いに意味があったと思う。隣の優れた教育経験をベンチマーキングにして、自己革新するのは良いことだが、アイデア競争と大学の宣伝機能を果たしているGPの使命は終わったのではないか。考えてもほしい。そのプログラムは、本当に追加資金がないとできないのか。追加資金がなければできないことなら、そのプログラムは期限切れで止めてしまっていいことなのか。

 教育という営みは、日常的かつ長期的に、できることのささやかな積み重ねしかない。旗を振って走り回ることではない。学生の身になって考えることの難しさは、日々痛感して、憂うつにもなる。それでもできることを工夫するしかない。それが現実の教育実践だ。幸いにも、参考になる資料、経験も増えてきている。それらを相互学習して活用すれば十分だ。相手の身になってサービスを考えても上手くいかないことが多い。それでも相手の身になって考えるしかないのが、ビジネスだ。大学がビジネスランドになることに私は賛成しないが、ビジネスのいいところを取捨選択して学ぶべきだ。その選択力が、大学人の見識だと思う。

 付記:教育重視が浸透する一方で、大学の研究はかなり深刻な事態になっている。この問題解決を抜きにして大学は語れないのだが、教育に焦点をあてた連載なので、ここでは触れない)

 
 

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