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見直される教育の一貫性
2009/09/01
高大接続のために初年次教育が重要であるという中教審の答申とともに、現に多くの大学に入学してくる学生の変化があることは、これまでも指摘したとおりである。
私立大学情報教育協会が加盟大学・短大教員を対象に実施した調査結果をみると、授業で直面する問題点として、学生の「基礎学力がない」と感じる教員が60%。「学習意欲がない」と感じる教員も40%。学力にも意欲にも問題のある学生を、大学が受け入れている。背景として、18歳人口の減少によって大学入学者全体の43%が、学力検査を経なくても入学可能な“非学力選抜”(AOや推薦)で進学するようになっていることがある。
これまでの高校と大学の関係でいえば、学力の低い志願者を入れる大学が悪いという高校側の非難と、高校卒業が高校教育の質保証として機能していないことが問題だという大学側の非難の応酬であった。しかし、どちらが悪いと放置できる状況にないのは明らかである。これまで高校が、大学入試を生徒指導の材料として“利用”してきた側面も否定できない。私立大学が定員確保のために、入試科目を削減し、学力に問題のある者を合格させてきたことも否定できない。しかし、勉強しないと大学に行けないという言説は、もはや一部銘柄大学とその志願者にしか通用しなくなってきている。
条件を満たしたものだけが大学へ進学すれば問題が解決なのだろうか。望ましいことだが現実には難しい。オバマ大統領は、その就任演説の中で「高等教育をすべての若者に経験させる(卒業させるではない)」ことを宣言していたが、知識基盤社会といわれる現代にあっては、より多くの国民が高等教育を受けることが先進国共通の“常識”となっている。入学すればいいというのではなく、準備不足の若者も大学教育に円滑に移行させ、大学での学習成果を上げるように持っていくことが重要なのである。そのために大学が注目しているのが、大学教育に円滑な移行をもたらす初年次教育なのである。中教審答申の用語解説では、「高等学校から大学への円滑な移行を図り、大学での学問的・社会的な諸経験を“成功”させるべく、主として大学新入生を対象に作られた総合的教育プログラム」と説明されている。
大学生に必要な学習技術(ノートの取り方、要約の仕方、文献の探し方、レポートの書き方、発表の仕方)、大学で学ぶ目的の確認や動機づけの強化、大学生に必要な社会スキル、図書館の活用法、自己分析、将来に向けてのライフプラン・キャリアプラン、などがその内容である。大学教員たちに、こうした内容の専門家がいるわけではない。昨年3月に開催した初年次教育学会設立大会で、山田礼子と筆者で開催したワークショップの際に、参加者(大学教職員)に聞いた結果では、初年次教育を導入したい理由は下表のように多様である。
1970年代の米国で始まったこの教育プログラムは、学生たちが大学生活に円滑に移行できなかったり、中退したり、学業についていけなくなったりすることを抑制するために発達してきた。日本の場合も同じである。学生たちが大学に入学してきた以上、学んでよかった、成長した、人生での成功につながっていく、といった実感を得させることは重要である。
しかし、高大接続にとって最も重要なのは、大学だけがこうした努力をすることだけでも、高校教育のリメディアル教育に力を入れることだけでもない。山田も指摘しているが、米国では、K12(幼稚園から大学卒業までの12年間を見越した教育の一貫性を持つプラン)、あるいはK16(大学院修了までのプラン)、という視点が重視されてきている。残念ながら、我が国には小中高大を貫くマスタープランはない。中教審の議論も、文科省の施策も、より必要なことは、高大接続はもとより、K16のように学校教育全体を一貫した連続性から見直す視点ではないだろうか。子どもたちにとっては、学校教育は連続したものであることを忘れてはならない。
私立大学情報教育協会が加盟大学・短大教員を対象に実施した調査結果をみると、授業で直面する問題点として、学生の「基礎学力がない」と感じる教員が60%。「学習意欲がない」と感じる教員も40%。学力にも意欲にも問題のある学生を、大学が受け入れている。背景として、18歳人口の減少によって大学入学者全体の43%が、学力検査を経なくても入学可能な“非学力選抜”(AOや推薦)で進学するようになっていることがある。
これまでの高校と大学の関係でいえば、学力の低い志願者を入れる大学が悪いという高校側の非難と、高校卒業が高校教育の質保証として機能していないことが問題だという大学側の非難の応酬であった。しかし、どちらが悪いと放置できる状況にないのは明らかである。これまで高校が、大学入試を生徒指導の材料として“利用”してきた側面も否定できない。私立大学が定員確保のために、入試科目を削減し、学力に問題のある者を合格させてきたことも否定できない。しかし、勉強しないと大学に行けないという言説は、もはや一部銘柄大学とその志願者にしか通用しなくなってきている。
条件を満たしたものだけが大学へ進学すれば問題が解決なのだろうか。望ましいことだが現実には難しい。オバマ大統領は、その就任演説の中で「高等教育をすべての若者に経験させる(卒業させるではない)」ことを宣言していたが、知識基盤社会といわれる現代にあっては、より多くの国民が高等教育を受けることが先進国共通の“常識”となっている。入学すればいいというのではなく、準備不足の若者も大学教育に円滑に移行させ、大学での学習成果を上げるように持っていくことが重要なのである。そのために大学が注目しているのが、大学教育に円滑な移行をもたらす初年次教育なのである。中教審答申の用語解説では、「高等学校から大学への円滑な移行を図り、大学での学問的・社会的な諸経験を“成功”させるべく、主として大学新入生を対象に作られた総合的教育プログラム」と説明されている。
大学生に必要な学習技術(ノートの取り方、要約の仕方、文献の探し方、レポートの書き方、発表の仕方)、大学で学ぶ目的の確認や動機づけの強化、大学生に必要な社会スキル、図書館の活用法、自己分析、将来に向けてのライフプラン・キャリアプラン、などがその内容である。大学教員たちに、こうした内容の専門家がいるわけではない。昨年3月に開催した初年次教育学会設立大会で、山田礼子と筆者で開催したワークショップの際に、参加者(大学教職員)に聞いた結果では、初年次教育を導入したい理由は下表のように多様である。
1970年代の米国で始まったこの教育プログラムは、学生たちが大学生活に円滑に移行できなかったり、中退したり、学業についていけなくなったりすることを抑制するために発達してきた。日本の場合も同じである。学生たちが大学に入学してきた以上、学んでよかった、成長した、人生での成功につながっていく、といった実感を得させることは重要である。
しかし、高大接続にとって最も重要なのは、大学だけがこうした努力をすることだけでも、高校教育のリメディアル教育に力を入れることだけでもない。山田も指摘しているが、米国では、K12(幼稚園から大学卒業までの12年間を見越した教育の一貫性を持つプラン)、あるいはK16(大学院修了までのプラン)、という視点が重視されてきている。残念ながら、我が国には小中高大を貫くマスタープランはない。中教審の議論も、文科省の施策も、より必要なことは、高大接続はもとより、K16のように学校教育全体を一貫した連続性から見直す視点ではないだろうか。子どもたちにとっては、学校教育は連続したものであることを忘れてはならない。
表1.初年次教育をなぜ導入した(したい)のか?(2つまで) | |
①学生の目的・動機の強化のため |
55.6% |
②学生の多様化への対応として |
32.0% |
③学生の学力低下に対応するため |
20.8% |
④学習技術を身につけさせる |
20.8% |
⑤学生満足度をあげるために |
12.5% |
⑥中退率対策として |
12.5% |
⑦教育改革の一環として |
9.7% |
⑧FDのひとつとして |
3.5% |
|
N=144 |