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吉川徹(きっかわ とおる)

大阪大学准教授。専門は計量社会学。著書に『学歴分断社会』(筑摩書房)、『学歴と格差・不平等』(東大出版会)など

第6回 もうひとつの人生を知る

2011/01/01

 学歴分断社会では、大卒層と高卒層の人生の交わりが少なく、互いに社会の半分だけしか視野に入らなくなりやすい。
 この傾向は、進学校から底辺校までの高校の輪切り構造(学校トラック)に始まる。この仕組みは、生徒指導・進学指導などの高校の現場を左右するものとしてお馴染みだが、若者たちを自分と異なる人生経路について知らないまま社会に送り出すものでもある。
 進学校に進めば、家庭環境の似通った級友たちに囲まれ、偏差値や大学ランク至上の受験文化に包摂された高校生活を送ることになる。そうした高校生は20歳までに社会に出て行く若者たちの人生について実感を持たない。反対に、大学進学という進路が自分の選択肢に入ってこない高校生も少なくない。
 昨今言われる高卒就職難と大学希望者全入は、同じ18歳の進路事情でありながら、別世界の出来事になりがちなのだ。
 だから私は、社会に出る前の若者たちに次の二点を伝えたいと願っている。
 第一は、同年生まれの人たちの学歴比率である。今年度の高校からの現役大学進学率は56・8%とされているが、大学受験浪人、大学中退者の数を全て考慮すると、この生年の「大卒」と「非大卒」との比率は最終的には53対47というあたりになるだろう。
 自分の同世代人というのは、仕事についてはもちろんのこと、結婚・子育てなどで終始競合し合い、同じ境遇を分かち合う集団であり、人はそこから逃れることはできない。だからこそ、その仲間たち全体の学歴比率を知らないで社会に出るのは、ルールを知らずに人生ゲームをするのに等しい。
 第二は、そのような外部環境の中で、自分が選び取った学歴にどんな長所と短所があるかを知ることである。この点について、私は大学生に「二人の自分を考える」ということを言う。一人目は、言うまでもなく今の自分である。もう一人は自分と同じ家庭環境にあり、同じ能力をもちながら、大学進学せずに高卒で就職した「架空」の自分である。そのうえで、こう問いかける。「地元の優良企業に高卒就職して、真面目に働き、給料やボーナスをもらい始めているもう一人の自分を、大学授業料を払いながら不確実な将来を見据える今のあなたは追い抜けそうですか」。これは大学ランクに目くじらを立てていた受験生が、学歴分断社会の現実をわきまえた社会人になる手助けになっていると思う。
 逆もまたしかりで、高卒後就職する若者たちは、大学生がキャンパスにいる4年間を稼ぎ時だとみて、多くの点でかれらに先んじるのが最適戦略である。ずいぶん華やかな例になるが、高卒でプロ野球選手になり、エースとしてすでに何億も稼いでいる前田健太、田中将大投手と、名門早稲田大学を経てプロに入団していく大石達也・斎藤祐樹・沢村拓一投手のこの先50年の野球人生を思い描くのと似たところがある。
 ともかく、同年人口の半分が人生に躓けば、残りの半分が支え続けなければならない。同時に自分が選ばなかったもうひとつの人生経路の大きさと重要性に気付き、社会の中での自らの役割を自覚することも求められている。学校教育が果たすべきレリバンス(有用性)とは、逃れられない学歴分断社会の現実を正しく伝えることではないか。

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