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第1号(平成21年2月5日発行) 椿姫 彩菜さん
2012/06/04
進路格言 ―つらいと感じたときこそ、成長するチャンス―
進路が選べるって、実は幸せなこと
椿姫 彩菜
心は女性で、身体は男性として生まれきた椿姫彩菜さん。
「自分らしく生きる」ことを大切にしてきた椿姫さんは、これまでどんなことを感じ、自らの進路を歩んできたのか―。
高校では、行事と友達が一番
私にとって学校は、「自分らしく居られる唯一の場所」でした。
家では女としての私を認めてもらえなかったので、学校では自分を理解してもらえるよう、学校行事や勉強に一生懸命取り組んでいたんです。周りが「面倒だ」とやらない文化祭の委員をまじめに務めたことや、成績を落とさないよう、勉強を頑張ったりと、やるべきことはきちんとやっていました。なので、周りが自然と私を認め始め、先生や同級生とは、偏見や差別のない、人間同士の付き合いができていたんです。
好きなことから進路を決定
私の学校では、付属の小学校からフランス語が学べて、私の得意科目でした。今では、日常会話に困らない程度にマスターしています。
「将来はフランス語を生かしてフライトアテンダントになりたい」と考えていました。でも、その仕事は女性を採用する職種で、本当になれるのかわかりませんでした。高校3年まで進路が決まらずにいると、先生から「将来の可能性を広げるために、好きなことが学べる大学に進学したらどうか」と勧められたんです。
私は好きなフランス語が学べる大学を志望校にしました。いざ模試を受けてみると、すべてE判定。そこから一気に勉強するようになりましたね。私が受験勉強をしたのは3カ月間だけなんです。でもその間は、人生で一番勉強をしました。
結果として、複数合格することができて、今の大学に決めたのは、「フランス人の先生が多く、実践的な授業が受けられる」という、先生からのアドバイスでした。大学を休学し、女性として復学髪も伸ばし、メイクもしていた私は、大学に通い始めて、すぐに性別の壁に悩まされました。大学では、健康診断で騒ぎになったり、授業で名前を呼ばれるたびに注目されたり……。男子校時代は、学校という守られた環境の中で、周りから女として扱ってもらえていたのですが、大学は世界が広がる分、さまざまな人がいて、そう簡単には認めてもらえる環境ではなかったんです。そこで改めて「戸籍と名前が男性ってだけで普通の生活ができない」という現実を突きつけられました。
そんな中、「性同一性障害特例法」の制度をニュースで知りました。特定の条件を満たせば、戸籍の性別を変えられるこの制度は、まさに自分のためだと思ったんです。制度の適用を受けるには、性別適合手術を受ける必要があって、そのための資金を貯めるために大学を辞めて働こうと思いました。当時はまだ親と本音で話せず、辞めたいことだけを打ち明けました。母からは、「勉強したい気持ちがあるなら、休学にしなさい」と説得されたんです。
今、女子大生として復学することができたのは、母のアドバイスがあったからです。
今ある環境に感謝することが大事
私は女性として生きていける今の状況に、とても幸せを感じています。
現状がつらいからといって、自分が置かれている環境に文句を言うのではなく、当たり前にある幸せを感じてほしいです。
家族や友達がいること、勉強ができること、進路が選べること……。そんな当たり前のことに対して、改めて感謝の気持ちを持つことが、自分を成長させる一歩になると思います。
Profile
1984年7月15日生まれ。小中高一貫教育の男子校から、青山学院大学に進学。性別適合手術を経て、2007 年4 月に女子大生として復学し、現在は大学に通いながら、女性の幸せをプロデュースすることをテーマに、各種メディアで活躍中。
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