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第85・86合併号 帝国ホテル総料理長 田中健一郎氏

2012/07/17

その伝統と格式から、日本を代表する高級ホテルの中でも別格とされる帝国ホテル(東京都千代田区)で、350 人もの部下を差配する総料理長・田中健一郎氏。女子栄養大学常任理事・染谷忠彦氏がホストとなり、いまどきの若者に対する総料理長の熱き思いを聞いた。

 

人を喜ばすことができる

料理の世界へ飛び込む

 

染谷 田中総料理長が料理を作ることに目覚めたきっかけを教えてください。

田中 どういうわけか料理そのものに興味があったのと、両親が商売をしていたこともあって、遅くまで働いて疲れているであろう母の手伝いをしたいという気持ちが強かったのだと思います。小学校2年生の頃から、給食の献立を真似たり書店で調べるなどして、自分なりに料理を作っていました。美味しかったかどうかは分かりませんが、料理を作ると母をはじめ家族がとても喜んでくれて「こんなにも人を喜ばすことができ、笑顔にできる料理って楽しいなあ」と幼心に感じていたものです。

染谷 それはすごい。そのお気持ちはずっと変わらなかったのですか?

田中 ずっと持ち続けていていましたが、しかし一方で、学校の勉強自体も嫌いではなかったですし、父からは大学進学を勧められていましたので、料理の道に進むか大学進学かで悩んだ時期が正直ありました。

けれども、もともと物を作ることが好きだったことや人を感動させることのできる料理の仕事に携わりたいという気持ちが強く、結局料理の道を志すことに決めました。父からは反対され「せがれとして認めない!」とまで強く言われましたが、そこで瀬戸際に追い詰められたことが、やるしかないと決心ができた要因の一つだったと思います。そして高校を卒業してすぐに帝国ホテルに入り現在に至ります。

染谷 現役高校生の大学・短大進学率は、現在とても高くなっていますが、ご意見をお聞かせください。

田中 確かに、当ホテルにも大学を卒業してから料理人になりたいと門を叩く若者がたくさん入社しています。しかしどうでしょうか、料理の世界は創造する仕事ですから、できるだけ若いうちから修行を始めるほうが良いのかなとは思います。感受性が強く、感性も鋭い若い時期に料理のことを吸収できるのは非常に有利です。もちろん、大学で学ぶ教養というか、多方面からのモノの見方や考え方も大切ですが、美味しい料理を作るために腕を磨かなければならない料理人にとっては、その他のことを考えるのはかえって逆効果にもなりえる。そう、自分の直感がモノをいう世界なんですね。

和食であれ、中華であれ、どんな分野でも料理は一人で作るのではなく、さまざまな人との協力が欠かせませんから、他者といかに協調していけるかが大切です。人間関係の構築やコミュニケーション能力など、料理の世界は座学では学べないことをたくさん教えてくれます。視野を広げることは否定しませんが、それよりも純粋な気持ちで料理に向かうことが何よりも大切だと、私は信じています。

 

仕事のことしか考えない、そんな時期があってもいい

 

染谷 帝国ホテルに入社してくる若者に対する印象を教えてください。

田中 いまの若い人は、基礎的な能力や人間的な素養において非常に優れているという印象があります。ただし、自分を土壇場に追い込んだ経験がないからでしょうか、自信があるという人が思いのほか少ないように感じます。能力はあるのに自信がなく迷ってしまい、具現化することができない。また、自分の内面や気持ちをストレートに表現することが恥ずかしいのか、何を考えているのかが分かりにくいということがありますね。そしてそれを指摘すると、自分を責めてしまうという気弱さがあるように思います。

染谷 まさに現代の若者気質そのものですね。そういった若者に接する際、特に気にかけていることはありますか?

田中 これは、どの仕事でもそうなのだろうと思いますが、とにかくその仕事を好きになることが一番、と伝えています。好きであれば、多少の苦労も乗り越えられます。大切なのは、仕事を好きになる努力をしているのかどうかということ。「仕事が好きだ」と言う若者に、ではどういうことをやってきたのかと聞いても具体的には何も答えられないんですね。

若い人によく説いているのは、若いうちに、それもできれば3年、さもなければ1年、それも無理ならせめて半年は、寝ても覚めても仕事のことしか考えないくらい集中する期間を持てということです。その経験があるか否かで、その後その人の料理や人間性に出てくる深みが変わってくる気がします。

染谷 24時間仕事のことを考えるというのは、少なくとも現代的な若者の考え方ではなさそうです。

田中 果たしてそうでしょうか。私の例で言うと、自分が社会の中心と思えるくらい仕事が面白くて仕方がない時期がありました。その時は見るものすべてが料理に結びつき、音楽を聞いても花を見ても、料理に関連してイメージがどんどん膨らんでいく感覚。そういう経験は若いうちしかできないですから、そのチャンスを自ら放棄しないで欲しいと思います。

 

夢と誇りで自分に自信を。支えてくれた仲間に感謝

 

染谷 料理の世界を目指す人に求めることを挙げてください。

田中 「夢と誇り」を持つこと。それが、私が仕事をしていく上で大切にしていることです。一料理人として美味しい料理を求め続けるという夢と、帝国ホテルで働いているという誇り―。これを忘れずに常に意識することで、くじけそうな時も歯をくいしばって前だけを向くことができました。そんな「夢と誇り」を若い人にもぜひ持って欲しい。

夢を追い続けるのは、年齢や性別に関係なく素晴らしいことだと私は思っていますが、若い人にぜひそのことを意識していただきたいのです。

染谷 最後にメッセージをお願いします。

田中 教育者の方々にお願いしたいのは、若者には全体的な視点で物ごとをとらえるように指導して欲しいということです。ミクロ的ではなく、大局的な見方。そうした大きなところからこれまでの日本や世界の歴史などを伝えていくことで若い人たちの思考力ももっと柔軟に広がってくるのではないでしょうか。

一方、若者には、仲間を作ることも大切だと知って欲しい。料理の世界は競争社会ですから、ライバルはたくさんいましたが、そんな仲間と業務が終わってから、仕事や夢のことを語り合ったことはいまの私の大切な財産です。困った時に親身になって支えてくれるのは、実はそのような競争仲間たちなのではないかと思います。

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