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最終回 改善余地を残した単位制度の基準

2013/02/14

大学の単位制度を考える

最終回 セメスター制・クォーター製の正しい認識

                    清水 一彦

 
■単位計算方法のフィクション性
  わが国の大学における単位制度の基本構造は、昭和22 年7 月8 日に制定された大学基準協会の「大学基準」によって確立された。この「大学基準」の中で単位制度に関わる部分をみてみると、まず単位算出基準としての「1 単位数」については、先のCIE の教育関係者が提案したものとほぼ同様なものであった。
 ①講義は、毎週1 時間15 週で1 単位(1 時間の講義に対して2 時間の準備または学習が必要)
 ②数学演習などの演習は、毎週2 時間15 週で1単位(2 時間の演習に対して1時間の準備が必要)
 ③実験・農場演習・実習・製図等の実験室、実習場での授業は、毎週3時間15 週で1 単位
 このような学習準備を含めた学生の自学自習および週1 時間単位の授業形式からなる規定は、新制大学の教育を最も特長づけるものとなった。この考え方の背景には、旧制下における詰め込み主義教育や週1 回ごとの2時間(1 コマ)講義への厳しい批判があった。つまり、旧制大学の多くは週に30 ~ 40 時間の講義が実施され、通常2 時間の授業が基本であったため、その授業科目は15 ~ 20 種類にまで達していた。こうした数多くの科目の詰め込み主義を基礎とする監督教育をなくし、また従来の受動的学習から学生を解放し、自学自習を奨励することによって学生の勉学への自発的意志を振起させるねらいがそこにあったのである。
 また、講義、演習、実験・実習等の授業形態別の3段階の単位計算方法の導入は当初から推奨されていたものではなかった。特に予習・復習を必要としない実験・実習等のカウント方式は、自学自習を尊重する単位制度の趣旨からはまったく逸脱するものであった。それは
要卒単位数を統一するために考えられた特殊な便法であり、苦肉の策であったのである。実際、当時の文部省関係者も、そうしたフィクションを導入しないとうまくつり合わなかったのではないかと、単位計算のフィクション性を示唆していた。


■120単位は理想的・標準的正確
 次に、要卒単位としての「総単位数」については、4 年以上にわたり(少なくとも)120 単位とされた。当初、理科系の委員が持ち寄った案では、旧制の学科内容(専門教育)を標準として、これに一般教育を加えたため132 単位から164 単位まで、平均しても文系よりはるかに多い140 単位前後を用意していたという。120 単位を強く要請するアメリカ側の前に、先の実験・実習等の単位計算方法を採ることによって圧縮させ、結果的には新制大学の理念を反映した一般教養の重要性や大学教育の課外活動の尊重等を考慮しながら文系・理系の統一が図られることになったのである。
 重要なことは、この120 単位は最低基準的性格というより、むしろその標準的性格を強調しつつ採用されたことである。つまり、それは本質的には標準化であり、学士号に対する最低要求を標準化するために必要であるのに過ぎず、それゆえ最低基準としては第二義的のものであったとされる。従って、それが最低であるとともに最も理想的・標準的な線として落ち着いたものと考えられる。
 以上の構造を持った単位制度は、公式的・統一的性格とともに、標準的学習時間による算定方式および学士号最低要件としての位置づけを特色としていた。しかし、この「大学基準」は、十分な論議の時間の取られぬまま、必ずしも最初から完成の域に達したものではなく、改訂増補すべき点が多々ある中で早急に採択されたものであった。つまり、内容はほとんどできていない状況で、「大学基準」は漸次改善し高めてゆくべきであるとされたのである。以後の度重なる改定作業はそれを如実に物語るものであった。


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