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第1回 大学入試をなぜ変えるのか

2015/04/13

連載 社会の地殻変動と大学

第1回 大学入試をなぜ変えるのか

金子 元久


 大学入試は日本の教育問題の焦点となってきたし、入試改革は常に話題になってきた。しかしいま、求められているのはその繰り返しではない。21世紀型の日本への転換の一環として、高大接続が問題になるのである。
 その理由は三つある。
 第一は、これまでの入試体制自体の空洞化だ。日本の高等教育のみならず、教育全体の言わば宿痾となってきたのは、いわゆる「入試体制」であった。それが個々の子供に、機械的な学習と競争とを強制することが批判された。
 そうした状況に対応して、1990 年代初めから、高等学校の教育課程と入試の多様化が政策的に推し進められた。他方で18歳人口が大きく減少し、大学の収容力は拡大を続けた。そのため大学教育機会の過剰供給の傾向が強まり、むしろ入学者の確保が多くの大学にとっての課題となってきたのである。
 その中で「入試体制」は大きく変質した。現在の大学入学者のうち、大学入試センター試験と個別大学試験の双方によって、ある程度の幅での学力を試されて入学しているものは3割に過ぎない。あとの3割は、個別大学による学力試験のみで入学しているが、そのほとんどは2科目前後の選択で、内容的にも知識偏重のものが少なくない。そして残りの4割は、推薦入試などによってほとんど学力のチェックなしに入学している。結果として高校生の学習が偏る傾向が生じる。また学習量自体も大きく減少してきた。1990 年代から、学力中間層の学習時間がほぼ半減した、という調査結果もある。
 第二は学力・能力観の転換である。従来は、小中高で学習した教科の知識の上に立って、大学で専門的・学術的な知識を獲得し、それが職業で活かされる、と考えられてきた。しかし現実には大学で教える専門的な学術知識をそのまま用いる職業は少ない。企業は大学で何を学んだか、というよりは入学の難しい有名大学の卒業生を優先的に採用する。それも、入試科目の知識が重要だからではない。むしろ入試成績が、いわゆる「地頭(じあたま)」を示していると、漠然と感じているからである。
 だが産業や職業の構造は極めて多様化し、また流動的になりつつある。企業の組織も多様化し、流動化せざるを得ない。個々の職業人も、定型化された業務をこなすだけでなく、未知の状況を把握し、それに応じた判断をし、それを他者に伝えていくことが要求される。またそうした状況で自己を生かす意欲を持つことも必要となる。そうした意味で、教科や学問分野に体系化された知識だけでなく、汎用的な能力や意欲を含めた、幅広い学力・能力観が要求されるのである。これは先進国に共通の潮流でもある。
 第三は日本の国民教育の体制自体の問題である。戦後の教育のあり方については、義務教育後の教育がどのように拡大するか、という点に主に注目が集まってきた。他方で教育段階のそれぞれで、学力の達成水準をどのように検証し、保証するかという点にはこれまで十分に注意が払われてこなかった。しかも高校は教育課程の多様化が進められると同時に、選抜性に大きな差が生じており、生徒の学力水準の一般的な保証はほとんど不可能となっている。しかも専門学校、短大、大学の一部では学力については実質的に確認を行っていない。総じて、段階ごとの学力確認が機能していないのである。 
 しかしグローバル化の中で、日本の若者のすべてが直接、間接に諸外国との競争に接することになる。その中で、若者に一定の程度の基礎学力を確保することは、彼らの将来にとっても、日本の社会の安定性の確保のためにも極めて重要な課題となる。そうした課題を若者自身に自覚させることが必要であり、そのために具体的な達成目標を設定することが必要だ。
 新しい時代に備えるためにどのような高大接続が必要か。そうした視点が不可欠になっている。

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