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第4回 大学選択はどう変わるか(1)

2015/07/15

連載 社会の地殻変動と大学

第4回 大学選択はどう変わるか(1)

金子 元久
 
 個々の高校生がどのようにして大学を選ぶべきか、という問いに答えることは私にはできないが、大きくみて高校生の大学選択がこれまでどのように変化し、また何が問題となっているかについて考えてみたい。
 大学の選択には、①意欲―高校生が将来にどのような人生を送りたいと思っているか、②機会―大学の側がどのような教育の機会を用意しているか、そして③制約―進学するために必要な学力水準や家庭の経済条件、地理的条件などが備わっているか、という三つの要因が働いている。
 このような視点から明治以来の歴史を振り返ってみると、大学進学はいわば③の制約要因によって強く左右されてきたことがわかる。
 近代化の過程で、大学への進学は、社会での立身出世の関門であり、大学進学は誰にとっても憧れの進路だった。大学を卒業すれば、近代的な工業や商業の世界で活躍できる。それはまた先祖伝来の貧しい生活から離れることであった。大学への進学のメリットは自明であり、その是非は自明だった。
 問題は大学進学に要する費用を負担できるか、また20歳を超えるまで何も稼ぎもせずに生活できるか否かだった。そうした条件が満たされたうえで、初めて学力試験を通過できるか否か、という条件が問題となってくる。そしてそうした条件に恵まれた若者は多くなかった。
 しかし第一次大戦後になると、経済的な制約はクリアできる若者が増えてきた。これが日本の教育を特徴づける「受験競争体制」の始まりである。
 さらに第2次大戦後になって民主化が共有の価値となり農村や都市の伝統的な生活から近代的な中流の生活への飛躍の機会として、大学教育が位置づけられた。1960年代に始まる高度経済成長によって家庭所得が上昇し、経済条件が制約とならない家庭が増加した。
 同時に戦前の旧制大学に旧制専門学校が加わって新制大学となり、需要の拡大を受け止める収容力も拡大した。この過程で、一群の大学は巨大化した。同時に、戦前からのより威信の高い大学を頂点として、入学試験の難易度によって大学間のピラミッドが生じた。
 さらに70年代中頃に、私大経常費助成が始まる一方で、大学新設の抑制政策が始まった。これを背景として、早慶以外の、巨大化していた中堅私立大学は一方で授業料を漸増させると同時に、学生数を絞る政策をとったため、これら大学の中堅私大の選抜性が上がった。そして選抜性のピラミッドがさらに分化し、高まった。
 79年に始まった共通一次試験はこれを、入学偏差値で明確に可視化し、社会に認識させることになった。いわば「ハイパー入試体制」が成立したのである。
 こうした入試のあり方に対する批判が、90年代の入試多様化政策、高校の多様化政策などの一連の政策につながった。しかも同時に第2次ベビーブーム世代が大学進学適齢期に入ったために、大学の収容力が拡大され、さらに新設大学も増加し、大学の収容力が拡大した。
 それに対して18歳人口は減少を始め90年代から2000年代にかけて、大学教育はそれまでの恒常的な需要超過から、供給超過に転換したのである。
 それ以後に、なし崩しに進行してきたのが現在の言わば「ポスト入試体制」と言える。その中で、現在の入試は三分されている。第一は国立大学、選抜性の高い私大を中心とする高選抜セクター、第二は中堅大学を中心とする準選抜セクター、そして第三はそれ以外の無選抜セクターである。
 この体制の特徴は、一方で③の制約が重要な要因として残りながらも、①の意欲、そして②の機会が、それに複雑に絡むという、極めてわかりにくい構図をもっていることである。次回以降では、この②と③の現代的な意味について考える。

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