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第2回 教育問題としての高校中退

2016/07/06

連載 高大接続の理想と現実

第2回 教育問題としての高校中退

中村高康

 高大接続論では蚊帳の外のような扱いにならざるを得ない現象でありながら、現代の高等学校教育、いや現代日本の教育システムの問題点を考える上で重要な現象と思われるのは、『高校中退』である。
 日本では、高校中退率は非常に低いと言われており、文部科学省公表の最新年度のデータ(平成26年度)を見るとその比率はわずか1・5%である。そのような小さな窓からモノを見ることにどれだけの意味があるのかという見方もできない訳ではない。しかし、ここにはいくつかの誤解や情報不足がある。
 第一に、その比率計算の分母は高校在籍者数、すなわち3学年トータルでの人数であるが、中退の発生は学年均等には起こらない。高校1年次が極めて多く、全体の半分以上を占めているのである。学年が上がるに連れて中退者は少なくなるので、3学年トータルの在籍者数を分母にすると、比率が希釈されるような形になり、本来多くの人がイメージする「入学した人のうちどれくらいが中退するのか」という数字には対応したものとなっていない。おそらく、特定の学年を3年間追跡した場合の中退率は3%を超えると推測される。ここ6〜7年で中退率が低下している点は注目すべきだが、それにしても毎年5万人を超える高校生たちが中退しているということは無視できる事態ではない。
 第二に、学校によっても中退率には大きな差異がある。文部科学省のデータでも、国立の高等学校は明らかに中退率が低い。ここからも容易に推察できるが、進学校は一般的に中退率が低い。その一方で進路多様校や専門高校、単位制高校などは中退率が高い学校が多い。そして、最も多いところでは数十%という学校もあると言われている。実際、私が2000年代後半に実施した進路多様校における調査でも、全国平均と比べておおむね数倍の生徒が退学していた。つまり、学校によっては、中退はむしろ日常的な問題となっているのである。
 そして、高校中退者がその後に経験するさまざまなリスクについても、青砥恭氏の『ドキュメント高校中退』(ちくま新書)をはじめ、すでにいろいろな場面で指摘がされている。
 愛知教育大学(愛知県刈谷市)の片山悠樹講師の研究でも、高校2年時の高校中退者はフリーターへの容認意識を持ちがちであることが指摘されている。私自身も全国調査のデータを使って、離学後に正規雇用に到達するまでの期間を計算して比べたところ、高校中退者が多数を占める中卒カテゴリーで、高卒や大卒に比べて統計的にも有意に到達時間が長くなることを見出したことがある。高校中退者は、高校卒業が一般化し、大学進学率が上昇した時代だからこそ、ますます相対的に不利な状況に追い込まれている可能性さえある。
 なぜ高大接続の話で、長々と高校中退の話をしているのかと言えば、実はこのように高校中退者が日常的に発生している学校からも、近年ではかなりの大学進学者が輩出されるようになっているからである。高校中退予備軍となりうるような高校生をサポートしようと日夜格闘している高校現場でも、現代では大学進学者がかなりいるため「高大接続」のシステムをいじれば、そこに影響する可能性がある。私が「高大接続」を教育システム全体の改革の旗印のように見て制度変更することに違和感を覚えるのは、こうした高校現場に無用な負荷をかけることもあるのではないかと思うからである。高大接続とは本来関係ないところまで振り回すようなことになる可能性を含んで、きちんと考えてくれている人がいるのだろうか。たしかに学校単位で見れば「高大接続」はほぼすべての高校を巻き込む問題になっている。しかし、生徒単位で見れば、それに直接関わらない者も少なくない。この単純な事実を、彼ら・彼女らを置き去りにしないためにも確認しておきたい。

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