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第4回 遠くにいかない高校生たち

2016/07/19

連載 高大接続の理想と現実

第4回 遠くにいかない高校生たち

中村 高康

 高大接続といえば、すでにこれまでも述べてきたように、カリキュラムの上での接続や学力の面での接続などを思い浮かべるのが通常である。しかしながら、接続を考える上でもう一つ、どうしても考えておかねばならない側面がある、と私は考えている。
 それは、空間的な面での接続である。どれほど高校のカリキュラムが大学のそれと密接に連携していても、またどれほど高卒者の学力が大学教育を受けるに足るものであっても、近くに進学できる大学がそもそもなければ、高校と大学は接続しようがない。もっとも、大学がない都道府県は存在しないので、ある程度はそうした接続上の障害は緩和されてはいる。しかし、そうはいっても、交通事情によっては通学圏に大学がないという地域は存在するだろうし、そこまでではないにしてもアクセスの良し悪しにはかなりの地域差があるだろう。そうした空間的障害がある場合、高大接続は、大学通学が可能なところまで居住地を移さなければならない経済的負担を生み出すと同時に、高校生たちの地域感覚に対して重大な変更を強いる要素を含んでいる。
 経済的な負担の話でいえば、大学は大都市部に集中しており、地方には少ない。その結果、都道府県間の大学進学率の差はかなり大きく、首位の東京都と最下位の県では実に数十パーセントもの差がある。つまり、地域的に接続の悪いところが明らかに存在するのである。こうした進学機会の地域間格差はかなり以前から議論されているが、解消するには至っていない。
 しかし、ここで注意を喚起したいのは、従来議論されなかった「地域感覚」のほうである。日本全体での大学進学率はここ20年あまり上昇傾向にあり、これを高大接続の進展と捉えることもできないわけではないが、そう喜んでばかりもいられない。なぜなら、進学をする者が増えることで、若者の地域感覚が変わってしまう可能性もあるからである。
 例えば、以前に私が実施した高校生向けの調査では、大学進学者は、明らかに就職者や短期大学・専門学校進学者に比べて遠くまで通学することになっていた。自分の行きたい大学が自分の家の近くにあることはほとんどないのだから、当然である。逆に、就職の場合は、企業規模や労働条件を問わなければ(その代表例がフリーターである)、どこにでもあるといえばある。したがって、就職希望者の中には「家から近いこと」を優先条件にして他の条件を問わず求職活動をしているケースも目立った。グローバリゼーションが喧伝される状況とは対照的に、現実の18歳前後の若者の地域感覚は、予想以上に狭い範囲にとどまっていた。これは原田曜平氏が『ヤンキー経済』の中で述べていたことと見事に符合する。
 私が分析したデータで気になったのは、将来県内に就職したいと考える傾向と進学希望の強さはマイナスの相関を持っていた点である。さらに、進学希望が強くなるにしたがって県内就職志向が弱まるという因果的データ解釈も一定の妥当性をもっていることがデータから示唆された。つまり、進学意識は地元意識を弱める方向に作用している節がある。進学を推奨することは、本来狭小なレベルにとどまっていた若者の地域感覚を押し広げているかもしれない。これはとりわけ地方にとっては大きな問題となる。なぜなら、それは高学歴者の人材流出に帰結するかもしれないからである。
 高等教育の地域間格差を少しでも解消する方向に進めたいのは山々だが、一方で高学歴化が一層進展することで、私たちは通常の高大接続とは別の意味で、高校と大学を地域横断的につなぎ、そして地方から都市への人材流出のパイプを作っているのかもしれない。ここには大いなるジレンマがある。高大接続は、こうした問題にも連動している可能性があることをここでは指摘しておきたい。

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