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【第2号】

2000/06/20

若年者の犯罪が続発している。総務庁の調査によると、中・高生の暴力を容認する傾向が3年前より高くなり、また「世の中はどうせ変わらない」と答える者が5割を超えるという。

最近の少年犯罪の動機は詳らかにはなっていないが、その一つの事件を起こした少年の供述には「目立ちたかった」という言葉があったと報道されている。

「目立つ」とは、何かとの比較によるもの。その何かとは何か。実は、はっきりとしたものなどないのかも知れない。

調査での「世の中はどうせ変わらない」という回答は、「諦め」の言葉には聞こえない。挫ける前に、逃げ出すための言い訳にしか聞こえない。

京都大学人間総合学部では、その3分の1の学生が留年し、不登校学生が増えているという。最近は4年生を対象に、教授が家庭訪問をせざるを得ない状況だという。

「個性」とは「好き嫌い」「多様性」とは「適当」ということでがない。

中学から高校への進学率が97%を超え、また大学全入といわれる今、一人ひとりが「選択する」という時の基準はどこにあるのか。一人ひとりが「選択する」時はどこにあるのか。

今、あまりにも「選択する時」がなくなっているのではないだろうか。「個性」「多様性」の名の下に、「好き嫌い」「適当」がまかり通ってしまいすぎているのではないのだろうか。

「何となく」ではなく、本当に「選択する」時には、比較が必要であり、自分を振り返ることになる。可能性を探すことになる。

社会において今、「基準」が見当たらないのならば、身近なことから「選ぶ」ということを繰り返すことによって、「いつ」「何を」「どこで」「どうやって」ということを考える機会の中で、一人ひとり自分を見出すチャンスをつかむことができるのかも知れない。殊に初等・中等、そして高等教育段階で、そういう機会をつくるべきなのではないか。それが今、求められる教育改革なのではないか。

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