【第10号】
2001/08/25
9月、まだまだ残暑は続くものの、高校では2学期を迎え、受験生にとっては受験準備の正念場となる秋を迎える。そして『教育改革』も、小泉内閣の『構造改革』に引きずられるように『トップ30』育成策が予算に組み込まれた。国立大学も巻き込んでの大学間の競争時代が始まろうとしている。
当然のことながら、大学は教員がいてこそ大学である。『ブランド』といわれ、『伝統』といわれても、現在、それぞれの大学でどんなことが行われ、どんな教員がどのような研究をし、教育しているのかがわからなければ、本来は『選ぶ』ということはできないものだ。
劇場自体は一流といわれても、中で演じられている芝居なり、演奏なり誰がやっているのかわからなければ、誰も足を運ばない。
文科省の平成13年度の学校基本調査をみれば、これまで加速しているがごとく高い伸び率を示していた大学への進学率が、減速したことがわかる。『全入時代』といわれ、定員に満たない大学、短大が増加し、指定校推薦でさえ、高校生に袖にされる今、うわべ だけを取り繕っている場合ではない。
そんなことは深刻承知のことではあろうが、なかなか各大学、短大の特徴が見えてこない。特徴が見えなければ、選びようもない。そうすると、とりあえず名の知られたところということになるのだろうか。
しかし、大企業が大規模なリストラを行っている現状、決して名前だけではやっていけないということに、高校生が気付かないはずがない。専門学校への進学率が過去最高の17.0%を記録したことを見れば、それも頷けるのではないか。時代のキーワードは、やはり「専門性」なのか。
それだけではないだろう。それは『わかりやすさ』なのかもしれない。専門学校はその名前を見ただけで何をやっているのか想像できる。しかし、大学、短大では、教育内容の上からも実際に何をやっているのかが見えにくい部分がある。その点でことに各短大が何をやっているのか、わかりにくいのではないか。
今号では『名物ゼミ、教授』と題して特集を組んだが、やはり『顔』が見えた方がわかりやすく、興味も引く。そしてそれは高校生、高校教諭が望んでいることでもあり、それを意識することが各大学、短大の『個性』にもつながるのではないだろうか。