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【第14号】

2002/04/25

新年度がスタートした。『週五日制』が始まり、高校においては『総合的な学習の時間』の実施まで、1年をきった。現時点では、否応なく新しい試みが求められ、進められなければならない。高校にしても大学、短大にしてもその試みから、本質が問われる1年になる。

本質とは何か。いうまでもなく、それぞれの存在意義である。何を目指すのか、何故あるのかというものを明確にし、広くわかりやすい形で伝えることが求められる。

今、高校の進路指導現場が大学、短大に求めていることは、単なる進学実績をあげるための情報ではない。高校生一人ひとりが、将来にわたる設計図を描くための材料である。入学までの方法や手段ではなく、入学後の内容や卒業後の姿といった、文字通りの進路の道筋を明確にイメージするための情報こそが求められている。

新たな試みが始まる一方で、「学力低下」を危惧する声は依然根強くある。確かに基本あっての可能性という言い方はできるかもしれない。しかしその基本すら、興味、関心あってのものとは言えないだろうか。そこに「ゆとり」の本質はないのだろうか。社会が必要とする尺度が重要であることはいうまでもないが、生きていく一人ひとりの尺度もまた大切なものであり、欠くことのできないものである。

そのために、できるだけ早く社会とは何か、大学、短大とはどういうところなのか、進学することの意義とは何かを、個人レベルで考え始めることのできる機会を与える義務が、高校、大学、短大それぞれにあることは間違いない。

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