【第22号】
2003/08/25
八月の終わりになって、ようやく本格的な夏がやってきた。今年の日本の夏は、梅雨が居座り続けたかのような冷夏。世界的にも異常な気象状況だった。異常といえば、ここにきてまた十代の事件、犯罪が続いている。「『心の病』をかかえた」とも言うが、何かがおかしいと感じながら、即効性のある特効薬は見あたらないのが実情。今、『教育』は、はたしてそうした『病』の根本的な治療薬を見出しうるのだろうか。
つくづく『教育』の果たすべき役割、責任は非常に広く重いと言わざるをえない。何事かが起こる時、社会で生活していく上で、何を知り、何を感じ、どう行うかといったことは、親であろうが、学校であろうが、地域社会であろうが、国であろうが、それぞれがどう『教育』を行うかにかかっている。具体的な教科、学問だけではないなにかを『学ぶ』ことの重要性にいまさらながらに気づく。
文部科学省は、このほど「学習指導要領」の見直しを図っているが、『生きる力』を育てようとすることに、誰も反対する者はいない。確かに方法論として異論を唱えるべき点はあるだろう。しかしながら、ただただ『学力低下』の四文字に押され、時代を逆行するような処方箋を出すことだけはあってはならないはずだし、そうならないことを願わずにはいられない。