【第25号】
2004/02/25
大学入試戦線が本格化してきた一月から、国会議員の学歴詐称問題が世間を騒がせた。日本という国、あるいは永田町というところは、いまだに学歴信仰が強い社会なのだろうか。
国民のための仕事という点では公務員も国会議員と同様であるが、公務員採用試験では、学歴は問われない場合が多い。しかし、公務員になるためにこんな知識が必要か、とある大臣が述べていたほど、合格のためには知識の詰め込みが要求されるのである。
試験に受かる者は優秀であるに違いないが、ペーパーテストで測れる学力は知識量と解答テクニックの多寡に過ぎないと言ったらいいすぎか。
近年の大学入試では、多様な学生を求め、学業成績のみで判断しない、AO入試等の導入が増加してきた。AO入試のメリットとして「受験者と大学の相互理解」があげられる。じっくりと時間をかけて繰り返される面接の中で、自分自身を相手に伝えていく。熱意や基礎学力も重要であるが、欠かせないのはコミュニケーション能力である。私立大学入学者の四十%以上を占める推薦入学でも同様のことがいえるだろう。
先日発表された、厚生労働省の「若年者の就職能力に関する実態調査」において、企業が採用選考時に重視する能力のトップは「コミュニケーション能力」であった。少子化、働く母親の増加、携帯電話やテレビゲームの普及、そんな中で育つ子どもたちのコミュニケーション能力をいかに伸ばしていくか。社会が今、最も求めている能力がコミュニケーション能力なら、それに応じる教育も不可欠である。
コミュニケーションが求められるのは学生だけではない。高等教育機関同士、大学と社会、大学と高等学校にも相互理解、協力が必要であろう。
この四月から独立行政法人となる国立大学では、職員の身分も採用方法も変更される。国立大学と私立大学の単位互換協定や、国立大学と高等学校の連携も一部で増えてきているが、はたして今後、独立行政法人化によって、これまでにない活発な動きが見られるのだろうか。
受験生や高等学校、あるいは地域とのコミュニケーションを図り、教育、研究とともに、社会貢献もいっそう活性化させる。若年層のコミュニケーション能力を伸ばしていくことにも寄与する。それこそが高等教育に求められる社会貢献と言えるのではないか。