トップページ > 大学ノート > 【第26号】

前の記事 | 次の記事

【第26号】

2004/04/25

平和の祭典と言われる『オリンピック』が開催される今年、日本はイラクに自衛隊を派遣した。一方で、その自衛隊の撤退を解放条件とし、日本人が拉致され、日本国内は情報が錯綜、大きな混乱の中で、結果的には無事解放された。

一連の事件でキーワードとなったのが「自己責任」である。「自己責任」とは、言動の結果を自ら引き受けるということであるが、事を教育に置き換えると、教育の責任について改めて考えさせられる。国の根幹を支えるのが教育であるならば、そのあり方をどうするのかが問題となる。

今年、我が国の教育において、後世に記されるであろう国立大学の法人化が行われた。「行政改革」の名のもとに、国立大学は、「自主・自立」した存在として運営されるようになった。「自主・自立」には、当然責任が伴なっている。「教育」と「研究」の成果があがらなければ、学生が集まらなくなり、存続できない状況が訪れる可能性もある。

私立大学ではすでに、「大学全入時代」を目前に、いっそう厳しい淘汰の波にさらされ、「生き残り」をかけてさまざまな取り組みを行ってきた。「教育」と「研究」の成果を自らの責任において引き受けてきたのである。今後は、「あるべき存在」としてあった国立大学も、「なくてはならない存在」として、自らの「個」の特徴を明確に打ち出していくことが求められるだろう。

日本の高等教育機関は、新しい時代を迎えた。これまで以上に難しい舵取りが求められる中で、今後の取り組みに対する責任が問われることになる。「研究」を産業界、社会にどのように還元していくのか、「教育」において、これからの日本を担っていく人材をどのように育成し、社会に送り出していくのか、また、高等学校教育との接続をどのように図るのか。他にも地域貢献、生涯教育、留学生受け入れを含めた国際交流等々、大学の果たすべき役割と責任は、限りなく重いといわざるを得ない。

前の記事 | 次の記事